ラオスの壽山石?

壽山石が高騰を続けていたのは、昨年あたりまでであった。印材、とくに古印材よりも新印材の方が値段の上昇が著しかったことに、近年の印材相場の特徴があった。
印材は文房四寶には入らないが、それに準ずるものである。もし”文房八寶”を選べば、印泥などとともに、印材もこれに入るべきものかもしれない。古代の青銅器や文字を研究する、金文、金石学から派生した篆刻という業は、文人趣味にあっては比較的新しい分野である。しかし落款印は書画に欠かせないとあって、今や重きをなしている。ゆえに印材蒐集の趣味というのは、本来は篆刻や書画に嗜みのある人士の趣味なのである。
ところが近年、印材を篆刻材料としてではなく、宝石に準ずる貴石として愛玩する向きが強くなった。書画の素養がなくとも硯の蒐集に興味を持つのと同様であるが、印材に於いてはよりその傾向が甚だしかった、といえるかもしれない。書画や骨董にまるで興味が無くても、単に美しく価値が高い(また価格が騰がる)という理由だけで印材を蒐集する者が、大陸に於いて急増したのである。特に田黄は希少性から高騰を呼んだ。投資目的での蒐集がこれに加わり、手の付けられない様相を呈するに至っていた。

ちなみに”印材三寶”といえば、田黄、芙蓉、鶏血、であるが、芙蓉も鶏血も、田黄ほどの盛り上がりは見せなかった。察するに鶏血は贋物が多く、また芙蓉のような白い石は鑑別が難しい、という事情もあっただろう。翻って考えれば、昨今の大陸の印材の蒐集というのは、鑑別に於いてさほど水準の高い物ではなかった、と言っていいかもしれない。
蘿蔔紋や紅筋が出ていなければ田黄ではないとか、田黄はわかるが田白(でんぱく)はわからない、田黄凍をみてもわからないといったような、昔から印材や古印材を扱っている者からすれば、冗談としか思えないような話もよく耳にされるものである。

大陸における近年の印材愛好は、文人文化とまるで関係のない趣味性であるから、印材は新しい方が良く、大きく、純粋で傷の無い物が高く評価されるようになっていった。あるいは高名な彫師が獅子を彫った印材とか。昔の文人が掌中で愛玩したような小さな石は見向きもされない。それも寂しい話だな、と思っていた。
それが昨年の後半あたりから、拍売(オークション)などでも古印材が注目されるようになった。いよいよ文人趣味に目を向け始めたのかとおもっていたら..........どうもそういう事では無かったらしい。新印材よりも古印材が評価されるようになったのは、相対的に古印材よりも新印材の評価が下がる、ある事情が作用していたようだ。それが福州路の博印堂で見せられた以下の印材。
ラオス壽山ラオス壽山一見、壽山石の桃花凍ないし芙蓉系の石のように見えるが.......この印材の産地はなんと”ラオス”なのだという。ラオスは現代中国語で老挝、あるいは「寮国(Liaoguo)」とも言われるが、この石は老挝石ないし老挝壽山と言う名で通っているという。ここに挙げたのはその一部にすぎないが、さらに良質な材もあり、また中には田黄にそっくりの石もあるという。恐るべきことに”皮”もちゃんとついていて、壽山の田黄と同様、田んぼの中に落ちた石が年月をかけて醸成されるという。
ラオス壽山このような石が出てきたおかげで、新印材は信用できないという事になり、古印材にふたたび目が向けられるようになっているのだという。それでも古印材よりはるかに多い新印材の相場は軒並み暴落したから、古印材を含めて印材市場は全般的に凋落傾向にあるようだ。
ラオス壽山篆刻家でもある博印堂の主人が試しに彫ってみたところ......ちゃんと彫れるという。壽山石よりはやや粘りがあるが、印材として悪い石ではないという評価だ。それを聞いて喜ぶのは、篆刻で生計を立てているまっとうな篆刻家くらいなもので、投機や投資目的で印材収集、それも新印材に偏って蒐集していた人は嘆いているだろう。
篆刻家にしてみれば、既存の印材の高騰や枯渇は死活問題であるから、新しい良質な印材が発見されたというのは、長期的にみれば喜ばしい事である。それでも、印材の高騰を支えていた大部分の人は篆刻などやらないから、印材の相場は暴落と言っていい傾斜を見せている。
おもえばダイヤモンドやルビーなどの宝石類も、新しい鉱脈が発見されると一時的に相場が下がる事がある。ルビーはミャンマーやタイ、カンボジア、スリランカ、ベトナムなどに産するが、ミャンマーの物が一般的に上質とされ価格が高い。とはいえ、他の産地に価値が無いわけではない。老挝石といえど、見どころがあり印材として優れていれば高く評価されてもおかしくは無いだろう。
ラオス壽山少し先の将来を見越して、良質な老挝石を買いに走る......そういう者もいるかもしれない。ただ、印材に限らないが、大陸の資産インフレの時代も、はや曲がり角に来ているのも事実である。印材に投資していた者達は、印材が”騰がる”と信じていたからこそ買いに走っていたのであり、今回の暴落で肝を冷やし、そうそう手を出すことはないかもしれない。ようはカネとおもえばこそ”可愛い”のであって、印材や篆刻文化そのものを愛好する素養などハナから無いからである。
今後どれくらい産出するかわからない老挝石が、どのような相場に落ち着くかは不透明である。また壽山石など、既存の印材の相場に関しても、先が見えなくなってきた。凋落著しい大陸の不動産相場と同様、現在の中国は”資産デフレ”の入り口に来ているからである。かつての日本と同様、幻想と熱狂が作り上げた資産価格が、実勢の価格に向かって収斂してゆく過程である。

しかし相場の暴落は炒客(投機家)からすれば終わりに過ぎないが、目の肥えた愛好家からすれば、これは”買い”のチャンスである。
端溪も、坑洞が閉鎖されたことで硯材が枯渇し、価格の上昇が止まらない状況であるが.......いつかベトナム老坑とか、ミャンマー水巌などが出てくることがあるだろうか?
その時はその時、なのである。もしそれが、端溪の硯石を凌ぐほど優れていたのであれば、それはそれでこの世界に楽しみが増えて結構な事ではないだろうか。
落款印01


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