窮屈さを増す大陸旅

昨年の10月末の事。深圳から香港に移動する際の羅湖の入管で、中国に渡航を始めて以来、実に初めて指紋をとられたのである。これは原則、入国する外国人全員に原則義務付けられるようになったようである。
その昔の1980年代、日本でも一部の外国人への、指紋押捺の義務に対する反対運動が巻き起こったことがあった。その運動の是非はともかく、たしかに指紋をとられるというのは、正直あまりいい気分ではない。
むろん、いまでは民間企業が提供するシステムにも、”指紋認証”が普及しているのであって、そのデータもどこでどう管理しているかはわからない。要は悪いことをしなければいい、悪いことをするつもりがないならいいではないか?というのも確かにその通りなのである。しかしそうはいっても、ある組織や権力機構に、自分の身体のプロファイルが採られてゆくという事に、心の奥底の不快感はぬぐえない。

そもそも”悪いこと”が、ルールに違反しない、という明確な定義づけがあるなら良いし、処罰についても客観的な証拠に基づいて審理するという過程を経るなら、まあ良いのである。しかし時に政権の”恣意”に拠ることがあるのなら、話は全く別である。
品物などから簡単に指紋をスキャンすることが出来るセンサーを使い、あらゆる場所から指紋を採取できるようになれば、その情報を使って行動をトレースすることも容易になるのである。防犯カメラの顔認識の技術とあわせて、現代では、いつどこで誰がだれと会っているのか?という事も、比較的簡単に割り出せるようになった、ということでもある。それは犯罪捜査や、犯罪を未然に防ぐことに使われるのは結構なことではあるが、それ以外の事には使用しないでほしいと、切に願うものである。

それとは別に、11月に上海に渡航した際。上海の浦東の入管での出来事。入国カードの記載内容についてとがめられたのである。大陸では入国、出国の際に黄色いカードの記載事項を記入するが、これとていままではいい加減なものであった。生年月日とパスポート番号、サインがあればそれでOK、のようなものである。パスポート番号を間違えていても通った、という話も聞く。
”入国カード”には、入国時と出国時では記入内容に違いがある。入国時にはやや事項が詳細にわたり、宿泊先などを書く欄がある。この箇所などは書くのが面倒なので、いつも斜め線を引くだけで”未定”のような体裁で出していた。これでなんの問題も無かったものである。
それが今回、入管の女性の審査官に「宿泊先はどこですか?」と聞かれたのである。実のところ、この時点で宿泊先は確定していなかった。そういう事はままあるもので、とりあえず上海について、その日の宿は適当に朋友に予約を入れてもらう、という事もあるのだ。「今は決まっていません。」と中国語でいうと、女性の審査員は冷たく「宿泊先を書かないといけません。」という。それが書けない場合は一体どうするのだ?という感じであるが「これから友達に会う。友達が手配してくれているが、今は知らない。」というと「友達に電話で聞けませんか?」という。あいにく、携帯電話が充電されていない。そもそも大陸を訪れる外国人の大半は、中国で通じる携帯電話など持っていないだろう。それも出来ないというと「友達の住所は?」と聞くので、思い出す限りで適当に書いてやったらやっと通ったのである。面倒になったものである。
今でもそうだが、入国ゲートに「〇〇先生」とか「Mr.〇〇」と書いたカードを持った迎えの人がいて、それからホテルに案内する場合もあるであろうし、そのホテル名を事前に知らない、などという他人任せな話もあるだろう。宿泊先が突然変更になることだってあるし、今回は上海のほかに揚州で一泊している。昔、旅行にもビザが必要だった時は、日程と宿泊先ホテルを詳細に申告しなければならない時代もあったものであるが、その時代に逆行してゆくのだろうか。
上海の浦東では、簡易なビジネスホテルに宿をとってもらったのであるが、ここでも何やら顔を認証すると思しき機械を使い、パスポートの顔写真と照会していたようである。おそらくこのシステムはオンラインでデータが集められ、いつどこのホテルに、何者が泊ったか、即座に情報が届く仕組みになっているのであろう。むろん、今までも、宿泊の際はパスポートを見せ、番号を控えるなどしている。それは公安に報告されるのであるが、紙ベースでの作業であり、おそらく後でまとめて報告していたのであろう。それが現在はチェックイン時に即座に、である。どうも情報がどこかに送られ、当局のOKが出て初めて宿泊が許される、ような雰囲気である。
しかしそう考えると、大陸で最近増えている民泊などは、依然として適当なものである。宿帳に姓名とパスポート番号を書いてオシマイ、という形態が一般的である。これなども、今後は厳しくなってゆくのかもしれない。

地下鉄に乗る際の荷物検査も、近頃ではちゃんと検査機に荷物を通さないと通してくれない。少し前などは、みんな無視して通っていたものである。それがきちんと荷物を通さないと通過できなくなっただけではなく、実際に中身を改められるようなことが数度あった。
たくさんの筆を持って乗ろうとしたときなどは、爆竹の束を持ち歩いているかと疑われたし、数個の硯を持ち歩いたときなどもバッグをあけられて「これは何ですか?」と聞かれたものである。何ですか?って硯ですよ、と言っても通じない人もいるのである。墨、についても同様な事があったが、これらはX線の検査機には固体の爆薬にでも見えるのだろうか。真鍮製の筆帽をたくさん持ち歩いたときは、弾丸かなにかと勘違いしたらしい。
空港のセキュリティであれば致し方ないとも割り切れる。高速鉄道の駅でも、致し方ないとは思う。しかし日常乗る地下鉄でこれをやられると、これはたいそう難儀な思いがする。昔に比べて交通の便が良くなったはずなのに、なぜだか移動のストレスが高くなっているようなのは、気のせいばかりなのだろうか。自動改札の存在を打ち消して余りある。それは煩わしさ、である。
上海の朋友に言わせれば「比較的安全な上海で警戒を厳しくする理由はなんだと思いますか?犯罪ではないですよね?テロを警戒してのことだと思います。」という。
もちろん、実際に地下鉄で有毒ガスを使ったテロを経験した国の人間からすれば、起こりえない事ではないというのもわかる。場合によっては、航空機のテロ以上の犠牲者が出かねないわけである。

大陸政府では、個人の行動履歴を蓄積するシステムを構築し、特定個人に法令違反などがあれば銀行口座を開設できない、また航空券や列車のチケットを買えなくなるなどの、行動の制限を設けようとしている。これを”档案”制度というが、この制度は今に始まったことではない。古くは王朝時代に起源がある。しかし王朝時代の”档案”は一定身分の者が対象として限られていたが、中華人民共和国成立後ほどなくして実施されたのは、すべての人民が登録される国民管理制度である。
しかし書類で管理されてきた牧歌的な”档案”の情報を、データ化してオンラインで照会できるとなると、全く違った威力をもつシステムになる。飛行機や列車での移動にも身分証が必要なのが大陸の旅であるが、IDと档案を紐づければ、問題のある人物への乗車券、搭乗券の発券を止めること事が出来る。それは移動の自由だけではなく、さまざまな行政サービス、銀行、あるいは就業などの、あらゆる生活面に影響を及ぼすことが、原則として可能になるのである。

こうした管理の強化は、人民の総意を経たものではむろんないし、人々が反対か賛成かにかかわらず、政府の意思によってどんどんと進行してしまうのが、かの国の体制が民主国家ではない所以でもある。
このような国民総管理システムの構築は、犯罪捜査や、犯罪抑止、またはテロの抑止にも、たしかにある一定の効力はあるだろう。シンガポールが公共のマナー違反にこと細かく罰金を科していった結果、街が美しくなっていったごとくである。そういえば現主席は、シンガポールの統治を大いに称揚していたものである。

しかし当然、専制独裁国家におけるその種の制度は、国民の健康安全のためではなく、体制維持が主目的である。個人的な予測であるが、今後、この”档案システム”は、さらに広範に、精緻に構築が進むと考えている。人民は今までより一層、体制に従順であることを強いられるだろう。”档案システム”の強化は、逆の面から考えると、それだけ人民の体制への不満の高まりを、政府自身が予測している事実の表れであるともいえる。人民の不満の原因は、いつの時代も変わらず、経済、経済政策、である。
実際の所、昨年の大陸の経済情勢は思わしくないし、数々の施策によっても、劇的な改善はほとんど見込めそうにもない。どこを見渡しても過剰設備が山積しており、投資効果が著しく低下している。金融や財政出動の手段を講じても、もはや有効なカネの使い道が乏しいのである。各地の不動産価格は下落傾向を強めているが、大陸政府はきたるべき不動産バブルの本格的な崩壊に、身構えているようにさえ見える............

日本でも”マイナンバー制度”が施行されたが、どうもうまく普及が進んでいないようである。運用面でも疎漏が多いというが、本質的には、番号で個人が特定され、あらゆる情報と紐づけられることへの、本能的な忌避の感覚があるように思える。そうはいっても、現在はクレジットカード番号、電話番号、パスポート番号、運転免許証、そのほか生活上必要な様々な番号やデータで、個人情報の特定や関連付けは、可能といえば可能な時代である。それでもそれが(縦割り行政等等のおかげで)分散管理されて(いるとはおもうのだが)、しかも個人の意思で改変や離脱が出来るのと、それが出来ないというのは大きな違いがある。
番号で国家に一元管理される事への嫌悪感というのは、民主主義の社会の住人の感覚としては、至極真っ当とはいえまいか。
ある日突然、銀行口座も電話もカードもすべて解約放棄し、住民票を離脱し、見知らぬ土地に越してしまえば、追跡は実際上は少し困難である。自由主義を標榜するのであれば、行方知れずになる自由も、どこかに少しあってもいいのではないか?くらいに思うのである。制度とはすべて、便利な反面、弊害もあることは、忘れてはならないだろう。
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豚<猪<彘

新年、あけましておめでとうございます。今年も何とぞよろしくお願い申し上げます。
型通りの挨拶で恐縮でございます。干支は”猪”、ですが、感覚的には干支の更新は旧正月以降(2月5日)にしたいものです。ちなみに”猪”は日本では文字通り”イノシシ”ですが、中国語ではいわゆる”ブタ”です。現代中国語だけではなく、昔からそうであって、蘇軾の有名な”猪肉頌”も、ブタ肉を使った料理のことです。いわゆる”イノシシ”のことは野猪、といいます。”野生のブタ”くらいの意味ですね。
では”豚”は何を指すかというと、小さなブタ、ブタの子供、子ブタのことです。フグを”河豚”と書きますが、”河の子ブタ”、という意味になります。小さいので”河猪”ではないわけですね。説文解字に「豚,小豕也」とあり、親ブタを”豕”とする場合もあるようです。”亥年”の”亥”はこの”豕”と字源を同じくすると言われます。

また古くは「彘(テイ)」という字もあり、これは「大きなブタ」を指すのが原義です。鴻門の会で樊噲が食らったのが「彘肩(テイケン)」、ですから大きなブタの肩肉、という事になります。並みのブタの肩肉では壮士にふさわしくないわけですね。また高祖の死後、戚夫人が処されたのは「人彘」、であります............大きさの順に豚<猪<彘、ということになり、成長段階によって別称があり、それぞれに文字が用意されているところから、古代から人間にとって身近かつ重要な動物であった事がうかがえます。

ともかく、伝統的には今年は”ブタ年”であって、”イノシシ年”ではないということですが、干支の人を”ブタ”呼ばわりするのは、さすがにいかがなものか、というところです。

本年も重ね重ね、よろしくお願い申し上げます。

店主 拝
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深圳の食卓にて

...........S小姐の旦那さんは、今なにかと話題の華為(ファー・ウェイ)にお勤めである。かなりのハードワークのようで、夕食時に帰ってこられないときも多い。深圳に滞在中はS小姐の家で夕ご飯をご馳走になる毎日なのであるが、ひとりで貿易会社を営んでいるS小姐は週に5日ほど、家政婦さんに来てもらっている。
家政婦さんはフルタイムではなく、一日4時間程度、お掃除と夕食をお願いしているという。家政婦さんを雇う費用がどれくらいかというと、仮にフルタイム8時間で週5日の場合、深圳だと5千元くらいだそうである。S小姐は月に三千元ほどを、家政婦さんに支払っている。曰く、「掃除はあまり上手ではないが、料理は上手。」とのこと。ちなみにS小姐は潔癖症ではないにしても、かなりの綺麗好き、掃除好きであり、いつも部屋はピカピカにしている。家政婦さんの掃除では飽き足らず、自分でもまめに片づけをしているような人である。
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家政婦さんは広東の人であるから、料理も広東風の家庭料理である。S小姐の夫婦は湖北省の出身であるが、湖北省も湖南省と同じく、家庭料理でも唐辛子辣い味付けを好む。以前は小生がとてもついてゆけないほど辣い料理も出てきたものであるが、現在は夫婦ともに広東の味に慣れ、たまに実家の料理を食べると辣さについてゆけないという。広東料理は全国の料理の中でも、比較的アッサリとした味付けで、油脂もあまり使わない。
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この日の献立は一品だけ、S小姐作の”バイ貝の十三香辣煮”が出た。広東、とくに深圳ではこのバイ貝が良く食べられる。青唐辛子が入って、少し辣い味付けである。
家政婦さんは年のころ40歳くらいであろうか。S小姐の家族からは「〇〇姐さん」と呼ばれている。食事を用意したら帰ってゆくのが普通なのであるが、そこは地方出身者の家庭の気さくなところであろうか、夕食時は家政婦さんも一緒に食卓を囲み、食事が終わると家政婦さんは帰ってゆく。フルタイムではないので、食材の買い物はS小姐が行うのであるが、材料をみて臨機応変にお菜(さい)を整えるのが手腕というものであろう。ちなみに中国の家庭の多数例にもれず、S小姐の旦那さんも簡単な料理はするし、S小姐のお父さんが滞在中は、夕食はもっぱらこのお父さんが作る。しかしなんといっても旦那さんは多忙であるし、S小姐も子供の世話と仕事でいっぱいである。そこでS小姐の両親が滞在して子供の世話や家事を手伝うことがあるのだが、S小姐は四姉妹で、姐のところにも去年女の子が生まれたため、両親としてはそちらの方を手伝いに行くときもある。現在の大陸には多い、一人っ子同士の夫婦の場合にはないことであるが、ご両親も娘たち家族の面倒を順番に見ないといけないのである。ゆえにS小姐の家庭で手が足りないときには、家政婦さんに来てもらっているのである。ちなみに、こうして家庭に入って家事や育児をサポートするのは、やはりほとんどの場合は妻方の実家である。

日本でも女性が働くのが普通となった時代であるが、日本の若い夫婦で家政婦を雇う余力のある家庭がどの程度あるか?という事は考えてみてもいいかもしれない。むろん、小なりとはいえビジネスをやっているS小姐に、旦那さんは今を時めく華為の正社員、という、収入的には比較的恵まれた家庭ではある。

家政婦さんへの報酬が、フルタイムで五千元(邦貨で八万五千円)というと、深圳では工場の工員の給与水準であり、決して高給とはいえない。もし地方から深圳に出て、部屋を借りて仕事をしているのであれば、今や余裕のある収入とはいえない。しかし、住むところのある近場の主婦であれば、それほど悪い仕事ではないという。

収入にしてもぶっちゃけた話をするのが大陸の人であるが、30歳を少し過ぎた旦那さんの年収は、月の給与で邦貨にして年に600万程度、またそれと同じくらいのボーナスがあるという。日本の30代前半のサラリーマンと比較しても、稀な高給取りであるとはいえるだろう。
しかしS小姐が少し浮かない顔をしているのは「会社に言われて、華為の株を5万株ほど買ったから、今は少し手元に現金がない。」という事であった。今年の旦那さんのボーナスはほぼ勤めている会社の株の購入に充てられた、というわけである。ちなみに5万株で40万元(邦貨で680万程度)だったそうだ。それは外資系の新興企業によくある”ストックオプション”というような、報酬代わりに自社株を譲渡するのではなく、あくまで社員による買取である。ちなみに華為は上場していない。上場して株価が上がれば大変結構なことであるが、上場の予定はあるのだろうか。

ハードワークで知られる華為であるが、S小姐の旦那さんの表情をうかがうと、特段の悲壮感のようなものは感ぜられない。帰宅して食事をして、1歳になる子供と遊んで実に楽しそうである。
「華為は今、日本で初任給40万円で新入社員を募集しているよね。」とS小姐に言ったら「華為は中国での採用でも、社員は最低2万元からよ。」と言われてしまった。ここのところ人件費も急激にあがって、上海の平均給与が9000元を超えることと比較しても、新人に支払うにしてはかなりの高給である。いや、日本の企業が若者に払う給与が、すでに安すぎるのかもしれない。

さて、私の滞在の最終日は、皆で火鍋を囲もう、という事になった。材料を買いに行きましょう、という事で、子供と一緒にS小姐の車でスーパーに出かけたのである。車は最近買った、BMWのSUVである。マンションの地下駐車場には外資系メーカーの、大型の車が並んでいる。好みもあろうが、特に子供の小さな家庭では、小型の車は事故に遭った際に危険、という考え方もある。しかし道が渋滞していて、いつもは5分で到着する会員制のスーパーに、30分かけてたどり着いた。
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こぎれいに商品が陳列されており、日本のスーパーのように販促のための試食をすすめるスタッフもいる。日本から輸入された調味料なども多く並んでいるが、値段は輸入品だけにやや高い。
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今夜は四川風の辣い鍋であり、肉を主体にしようという。そこで食肉のコーナーに行くと”火鍋用”という事でパッケージされて販売されているのは、多くは豪州や米国産の牛肉や羊肉である。おそらく向こうの工場でスライスされ、包装後に冷凍で輸入されたのであろう。日本のスーパーのように、食肉を加工する職人を置いていないのかもしれない。
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スライスされた牛肉、牛タン、野菜や豆腐類を適当に買い込み、お会計である。ところがこのスーパー、スタッフを置いたレジというものがない。買い物客は、機械にバーコードを読み取らせ、適当に袋につめて持ち帰る。会員制だけに、はじめからデポジットされたポイントから清算されるのである。スタッフレスにキャッシュレス、なのである。
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さて火鍋であるが、火に鍋をかけるから”火鍋”であって、日本のちゃんこ鍋や湯豆腐鍋や、てっちりも”火鍋”である。しかし大陸の火鍋は辛い場合が多く、個人的に”火鍋”から連想されるのは”口から火が出るように辣い鍋”である。事実、大陸では一般に四川や重慶を本場とする、辣い鍋が流行しているのである。今日は四川から直接取り寄せたという、”火鍋スープの素”を使うという。広東料理に慣れたからといっても、たまに辣い料理を食べたくなるのであろう。
とはいえ、火鍋は中央で分割されており、一方には豚のスペアリブとトウモロコシを煮込んだスープを使う。トウモロコシの芯の甘みが溶け込んで、こちらは当然辣くはない。

これに”火鍋油”という、缶に入った香味油をたっぷりつけて食べるのである。小鉢にたっぷりと油が注がれるのを見て、一瞬ひるんだが、この油に浸して食べることで、四川風のスープの辣さが緩和されるのである。この”火鍋油”に薬味としてネギと香菜を刻んだもの、おろしたニンニクと生姜をじっくり炒めたペーストを添える。
ありていに言えば、スライスされて冷凍輸入された牛肉などは、日本のスーパーの精肉コーナーでグラム100円前後で特売されている、外国産の牛肉や豚肉類に比べても、食味に勝るという事はまったくない。しかし四川風の激辛スープと、薬味を入れた”火鍋油”に浸して食べると、調味料の味でおいしく食べられるものである。しかし肉の触感はするのであるが、牛肉と羊肉の味の違いがあまりわからない.........羊肉に関しては、たとえば上海や北京などでは冷凍していない羊肉を使った火鍋を出す店がある。しかし食肉用の牛を飼育する歴史が浅く、サッと過熱して食べても美味しい牛肉の流通にはまだ時間がかかるのかもしれない。大陸の伝統的な牛肉料理と言えば、老牛の肉を長時間煮込み、薄く切って冷菜として供する料理が定番である。
ともあれ小生には四川風のスープはやはり辛すぎで、途中からはもっぱらトウモロコシを煮だした、白いスープの方で食べることにする。やはり湖北省出身の家庭であるから、たまにはとても辣い料理を食べたくなるものなのだろう。

不足を言い出したらキリがない、というのが生活というものかもしれない。S小姐の家庭はすでに平均以上の所得を持ち、いわゆる良い場所にお部屋もローンで購入している。しかしそれでも”生活が楽”、という実感に乏しいという気配が感ぜらるところがある。その根本的な要因はおそらく部屋のローンの支払いなのであろうけれど、深圳の物価高もあるだろう。一緒に買い物をしていても、野菜を除いた肉や魚は、日本と大差がないか、質的に比較すると高いくらいである。質を問わなければ安いモノは確かにあるが、質を求めれば日本の方がおそらくほとんどの分野で安価かもしれない。

「深圳の景気は?」と聞いたら、「良くない。」という返事。大陸の朋友等がはっきり「不景気」と言うようになったのは、今年入ってからである。たしかに、深圳に限らないが、かつての沸き立つような好景気はもう昔の話であり、経済は方向感を失っているようにも見える。GDPなどの指標と、巷間の景況感の乖離が開く一方、という実感がある。GDPが6%の成長率で何故不景気に感じるのか?というのは不思議としか言いようがないが、GDPというのも問題のある指標である。売れない住宅をたくさん建設しても、GDPの増加にカウントされてしまうのである。自由主義市場経済の国では、売れなくて在庫が増えれば生産が抑制されるものであるが、統制経済の国では生産を続けることが可能になるのである。

4年前に購入したS小姐夫婦のお部屋も、値段が倍以上に騰がっている。地下鉄の駅直上の、ショッピングセンターに直結する”好物件”である。しかし子供が生まれてしばらくたつと、「近くにあまり良い学校が無い。」ということを不満に思うようになって来たという。「深圳のGDPは中国で1番だけど、平均所得は16番目。貧乏な人も多いから、決して豊かな都市ではないのよ。海外の高級ブランドのお店も、中心市街に数店舗しかない。」ともいう。

大陸では公立の小中学校にも地域によってレベルの違いが厳然としてあるそうだ。そのうち”実験”の二字を冠した”実験小学校”、”実験中学校”が一番いいとされるのであるが、”実験”というのは新しい教育方法を実験的に実施するという意味である。そういうと生徒をモルモットにして学習法を研究しているかのような印象を受けるが、より先進的な教育法を試行するだけに、優秀な教員と生徒が集められる、という事でもあるそうな。半面、あまり良くないとされるのが、深圳に不動産を持たない外省人の子弟を集めた小中学校であるとされる。これは深圳に限らず上海や北京といった都市でも同様である。他所の省から来た住人の子供は、その都市に両親が住居を賃貸ではなく所有しない限りは、原則その都市の戸籍を持つことが出来ないのだ。そこに明確な差別があり、深圳籍や上海籍を持たない子弟が通える学校と、通えない学校があるのである。その都市の戸籍のない子供が通える学校は、市政府も予算をあまり割かないためもあり、また経済的に恵まれていない外省の家庭の子供が集められるということもあり、あまりよろしくない、というようにみなされているのである。
ゆえに外省から来た住人にとっては、その都市で不動産を持つという事は一大事なのである。日本のように賃貸で充分、というわけにはいかない。そうした切実な需要が、大陸の不動産バブルを下支えしてきた、という現実がある。その都市の政府にしてみれば、不動産開発によって財政を賄ってきたという経緯もある。その都市や地域の不動産を買う、というのは、いわば住民税を支払っているようなものなのであろう。不動産を持たない住民の子に上質の公共サービスは提供出来ませんよ、というところだろうか。

ともあれ、無謀な開発事業を重ねた結果、大陸の地方政府の財政の多くは事実上破綻している。唯一深圳だけは、債務がほとんどない。これからもインフラ整備や学校、病院といった公共事業を行う余力があるかもしれないから、S小姐の住んでいる地域の人口も増えるにしたがって、新しい学校も建設されるかもしれない。
以前は「深圳まで不景気になったら中国経済はオシマイ。」と言っていたS小姐であるが、その深圳の景気も思わしくはない。しかし外省人で成り立ち、民間経済が発達し、財政に余力のある深圳の先行きは、他の地域に比べればまだ明るさが期待できるところである。
大陸の今後の経済状況については考えさせられるとこが多いが、それとは別に、朋友達の小さな家庭の幸福が続く事を祈るばかりである。
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蘇軾 「題過所畫枯木竹石三首」

「題過所畫枯木竹石三首」..........この三連作の詩が書かれたのは、北宋は哲宗の時代、元符三年(1100年)といわれる。流刑先の海南島滞在時である。
この年の2月に哲宗は崩御し、徽宗が即位する。蘇軾は恩赦をうけて都へ上る途中、徐州で病み、翌年にこの世を去る。すなわちこの詩は蘇軾晩年の作である。
「題過所畫」とあり、”過”は蘇軾の流刑地の海南島に同行した、蘇軾の末の息子の蘇過(1072-1123年)。すなわちこの詩は、蘇過の画いた枯木と竹石の図に、蘇軾が題詩をつけた格好をとっており、蘇過の画に対する蘇軾の講評を含んでいる。
蘇過は、英州(広西)、恵州(広東)、そして海南と、蘇軾の長い流罪に同伴しており、当時としては生きて帰れないといわれた蛮地において生活を共にしている。その余慶であろう、蘇軾の薫陶をもっとも受け、詩文書画に長けたと言われる人物である。

以下にその大意を示す。

(一)

老可能為竹寫真
小坡今與石傳神
山僧自覺菩提長
心境都將付臥輪

老可(ろうか)能く竹を寫(うつし)て真(しん)を為す。
小坡(しょう)は今、石(いし)與(と)傳神(でんしん)す。
山僧(さんそう)は自から覺(おぼ)ゆ菩提(ぼだい)長(なが)しと
心境(しんきょう)都(すべて)將(ひきい)て臥輪(がりん)に付せり

(大意)

文同は、竹画がうまく、真に迫っていた。
この東坡の息子(蘇過)は、石を画いて、よく自分の精神をあわらわしている。
山寺の僧侶は、”菩提”にあることの長さを自らさとるものである。
いまの心の境地をすべてみな、(この石のように、何事にも動かされないという)臥輪禅師にゆだねてしまうのだ。

詩文中にある「老可」とは蘇軾の良き友人であった文同こと文与可。当代の竹画の名手であり、蘇軾も文同に竹画を習ったといわれる。文同はこの詩が書かれた時から、さかのぼること20年も昔に亡くなっている。また詩中の「小坡」は、蘇過。今、蘇過が竹石を画くのを見て、亡友に想いを寄せたのである。
また”臥輪”とあるのは、禅僧の臥輪禅師のことで、その「六祖壇經」におけるその偈に『臥輪有伎倆、能斷百思想。對境心不起、菩提日日長。』とあることを踏まえる。
臥輪禅師の経歴はあまりわかっていないが、「六祖壇經」が中国禅宗の第六祖・慧能(638-713年)の説法集であり、その臥輪の偈にたいして「慧能沒伎倆、不斷百思想。對境心數起、菩提作麼長」とかえしているから、慧能と同時代以前の人物なのだろう。
すなわち「臥輪は修行に熟練しているから、さまざまな想念を断つことが出来、環境の変化たいしても心がかわることがない。だから菩提(さとりに入っている時間が)が日に日に長くなっているのだ。」という偈にたしいて慧能は「慧能は修行が未熟であるから、さまざまな想いを断つことが出来ない。環境がかわると心もさまざまに変わってしまう。だから菩提が長くなってゆくのだ。」と反論している。
蘇過の画いた”石”を、動かない、動かされないものの象徴として、臥輪の偈に通じる、としたのである。半面、慧能の域ではない、ということも暗に示している。蘇軾が禅に深く心を寄せていたことがうかがえる内容である。

(二)

散木支离得自全
交柯蚴蟉欲相缠
不须更说能鸣雁
要以空中得尽年

散木(しんぼく)は支離(しり)として自(おのず)ら全(まった)きを得ん
交柯(こうか)蚴蟉(ゆうりゅう)として相(あ)い纏(まとわ)んと欲す
鳴雁(めいがん)を能くすとは、更(さら)に説(い)うべからず
以て要す、空中(くうちゅう)盡年(しんねん)に得んと

(大意)

用だたないような雑木は、まばらに生えているからこそ、自然と天壽をまっとうするのである。
交錯した木々の枝は、蛇や龍がのたうつようにうねりながら、たがいにからみあっている。
蘇過がここに”鳴雁”をもよく画くことが出来るとは、いうものではないね。
空中を飛翔する雁の姿をうまく画こうとおもえば、一生かかるのだから。

散木は、花も実もつけず、またまがりくねって伐採しても材木にもならないような雑木のことである。また湿気を多く含むから、薪としても優秀とはいえない。実際、南方の山中にはこの種の樹木が多いのである。蘇過がここに画いた”枯木”は、このように枝が多く曲がりくねったまま枯れた雑木なのだろう。それが”交柯”、”蚴蟉(ゆうりゅう)”という表現に現れている。
”支離”はまばらなこと。役に立たない木でも、利用価値のある土地に密生していれば、開拓されるなどして伐採されてしまうかもしれない。どうでもいいような場所にまばらにはえているからこそ、見逃されて天寿を全うし得るのである、ということである。つまりは朝廷(の政争の場)のような、重要な場所からから離れているから、このような役立たずたちでも生きながらえるものなのだという、蘇軾父子の姿への自嘲を画に読み取っているのである。
また”鳴雁(めいがん)”は、鳴いて飛んで行く雁である。蘇過はこの絵に雁を画き込んだのであろうか?画き込んだ雁の絵を見て「あまりうまくないが、鳴雁をうまくえがくには、一生かかるからね。」という意味にもとれるが、「本来はここに鳴雁がほしいけれど、蘇過は鳴雁はまだうまくかけないから、あえて画かないのだね。」ともとれる。
いずれにせよ”鳴雁”ないし”雁”に象徴されるのは、北方への回帰である。古来、南方に流刑に遭った士大夫達は、南から北へ飛び帰り去ってゆく雁の姿に、北の朝廷への帰任や、望郷の念を仮託したのである。
すなわち蘇過が”鳴雁”をうまくかけない、うまく画くには一生かかる、というのは、蘇軾親子は一生この海南島から戻ることが出来ないのではないか、という絶望感を暗示している。

(三)

澀勒(そうろく)を倦看(けんかん)すれば蠻村(ばんそん)暗し
亂棘(らんし)孤藤(ことう)瘴根(しょうこん)を束ぬ
惟だ長身(ちょうしん)六君子(りくくんし)有り
依依(いい)として猶(な)ほ淇園(きえん)のごとくを得ん

(大意)

南方の竹を座ってながめていると、文明の及ばないこの小さな村も暮れてきた。
とげが乱雑にはえた藤づるが、気根を束ねて熱帯の樹木にまきついている。
ここにはただ、まっすぐに生えた六本の竹があるばかりだ。
風のまにまにゆれながら、はるか北方の淇園をおもわせるようじゃないか。

”澀勒(そうろく)”は竹の一種であるが、現代のどんな竹を指すかは未詳である。しかし”澀”は渋い、の意。”勒”はくつわ、おとがい、の意である。清の屈大均「廣東新語・草語」には、『有竻竹,一名澀勒。勒,刺也。 廣 人以刺為勒,故又曰勒竹,長芒密距,枝皆五出如雞足,可蔽村砦』とある。広東人が馬の”くつわ”をさすのに使う事からこの名があるという。むろん、蘇軾の北宋当時の同じ竹の名とはかぎらないが、どことなく枝多い、細身の竹を想起させる。ともかく孟宗竹などと違った、南方特有の竹なのであろう。それは続く”蛮村”と、未開の小さな村、の語からうかがえる。
瘴根は、現代の広東省の街路樹にみられる、ガジュマルのような熱帯の樹木から無数にぶら下がった気根のこと。それがトゲの生えた藤(フジ)のようなツル性の植物に巻き付かれた様子は、今の深圳や珠海といった、広東省の都会でもよく目にする光景である。しかし蘇軾の北宋当時としては、ほとんどジャングルの中に住んでいるような描写である。
次の”長身六君子”であるが、”六君子”は、ならび称される君子の一群を指し、例はさまざまであるが、古くは”禹、湯、文、武、成王、周公”を指す。直接的には眼前の竹のことを指しているが、この”六君子”が指すところの竹は、一句目の”澀勒”の事ではなく、蘇過が画中に画いた竹のことであろう。蛮村の”澀勒”であれば、ほんの数本、ということはない。”惟有”と強調していることからも、それはうかがえる。むろん、ここでは未開の村の蘇軾と蘇過等を暗示しており、未開人(やや差別的であるが)であるところの”澀勒”に対して、文明の地から来たのは自分たち”六君子”しかいない、という意味である。
蘇軾の弟、蘇轍はこのとき海南とは海を挟んで対岸の、広東の循州に流刑に遭っていた。蘇轍は長身で知られていたから、この”六君子”は同じく蛮地にある蘇轍をもふくむのであろう。さらには蘇軾の長子、蘇邁もこのとき広東の恵州に流されているから、蘇軾・蘇轍・蘇邁に蘇過(ほかにも同時期に左遷されていた黄庭堅などもふくむかもしれないが)で、ほぼ”六君子”として差し支えないわけである。
(ちなみに次男の蘇迨だけは、蘇軾・蘇轍等とは派閥的に距離をおいていたせいか、流刑はまぬがれ、このとき江蘇の宜興にいた。後に蘇軾が赦された際にはは、広東の恵州まで出向き、これを迎えている。)
それら”六君子”が「依依」として、つまりはつかずはなれず風に揺れている様に画かれている、ということであろう。その竹の姿がはるか北方、河南省は淇県に古来から続く竹林園である”淇園”をおもわせる、というのである。当時北宋の都は河南省開封である。”つかず離れず”は、蘇軾父子や蘇轍、その家族等の姿であり、いつか開封近くの淇園を揃ってそぞろ歩いたころを懐旧している、とも読める。
翌年、赦されて開封へ向かう途中、徐州で病み、そのままこの世を去ることになる蘇軾である。当時としては老境の60歳を越え、海南島の滞在中にすでに健康を害していたことが、この時期のほかの詩文中からもうかがえる。
すなわち第三首でも、望郷の念や都に戻りたいという想いが、第二首よりいっそう、切切と詠まれているのである。
............蛇足であるが、先日の香港クリスティーズのオークションで落札された蘇軾?の「枯木怪石図」が、真作とは到底考えられないという事は、前に述べた。その理由を詳述するのは別の機会に譲りたいが、「枯木怪石図」という画題から想起される蘇軾の詩として、「題過所畫枯木竹石三首」をここに挙げてみた次第。
この詩の内容では蘇過が枯木や竹石を画いているのであるが、その画は伝わらない。むろん、蘇軾も竹石や怪石、枯木を画くこともあったであろうし、それはただ一度とは限らない。複数の蘇軾の竹石や怪石の画があったのであろう。しかしその画のうち一点が残っていて、かの「枯木怪石図」がそれであるというのは、これはまったく別問題なのである。
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華強北電子市場の蒸菜店

深圳は華強北にある巨大な電子市場の中、お昼ご飯を食べようと思った。一人で行動していたので食事は簡単に済ませたい。大勢の人があつまる電子市場には、実際に飲食店が多数存在する。昼食の需要が最大であるためか、麺類やどんぶり等、軽食中心の店が多い。また弁当を売る店も多い。弁当といっても、中国の場合は出来あえの温かい惣菜を選んで、ごはんと一緒に弁当容器につめてもらうのである。
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しかし12時過ぎから食堂の類はどこも混雑している。午後1時をまわったあたり、混雑のピークを過ぎたころ合いに、電子デパートの一棟の六階にある食堂街をのぞいてみる.........行列の出来ている一角に懐かしい光景が........蒸し器の中の多数の小皿。湖南省は長沙で味わった、長沙蒸菜”である。

深圳は外省人の街である。つまりは広東省以外の地域から集まった人々が人口の大半を占めるのであるが、北方の人は少なく、長江流域、湖北、湖南、四川、広西、江西、福建などの人が多い。福建をのぞけば、およそこれらの地域の料理は辛いのである。辛い料理の雄といえば、湖南料理である。日本人が想起する辛い中国料理といえば四川料理かもしれないが、四川料理は辛さのなかにも様々な香辛料が加わる。しかし湖南料理はずっと直接的な、唐辛子の辣さである。この湖南料理は深圳の外省人の味覚における公約数なのか、実際に湖南料理の店は多い。
この”蒸菜”の店も、華北強の電子市場、すなわち深圳屈指のオフィス街には必須の種類の店なのであろう。一人の昼食には丁度いい店でもある。
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トレイをとって、学食よろしく列にならぶ。下からゆるく蒸気のあがる、四角いステンレス製の巨大な蒸し器の中に、小さな白い深皿にはいった料理が所狭しと積み重なっている。長沙では皿を指さして指示すると、従業員がハサミで皿をとってくれたものであるが、手で持つにはやや熱いからでもある。深圳のこの店では、さまで熱くないのか、自分でとるのである。皿は料理の汁や油脂で滑ることもあるので要注意である。ご飯も、陶器の深皿にすりきりで入って蒸された白飯である。たくさん食べたい人は、二皿のご飯をもってゆく。(ランチタイムから少し時間が過ぎると、陶器の蒸した白飯ではなく、普通に炊いたご飯が盛られる)
もっとも、トレイを持って料理を選んで、付近のテーブルで食べる人はそれほど多くない。ほとんどの人は料理を選んで、店員にテイクアウト用のランチボックスに入れてもらい、ビニール袋に下げて持って帰るのである。自分の店舗なりで食べるのだろう。
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”長沙蒸菜”は、湖南人の好みなのだろうが、辛い味付けの料理が多く、赤や緑色の生の唐辛子がふんだんに使われていた。これに黄色いコーンやニンジンのオレンジといった緑黄色野菜、あるいは淡い色合いのキノコ類やイモ類などの料理が加わり、目に鮮やかな印象が残っている。
対して、この深圳電子市場の”蒸菜”は、やはり地元の味の好みであろうか、はじめから辛い味付けの料理は少ない。色合いも若干地味である。よくみれば、湖南料理の特徴をもった料理は少なく、ごく一般的な広東の家常菜、のようである。長沙であればかならず一隅を占めている、赤唐辛子と青唐辛子の塩漬けのみじん切りを乗せた、淡水魚の頭の蒸し物「剁椒魚頭(トウジャオユイトウ)」がない。内陸の長沙とちがって、広州湾に臨む深圳らしく、小型のマナガツオの蒸し物である。またスープは、これも広東でよくみる、豚のスペアリブにクコなどの漢方薬をいれて蒸しあげたスープである。
日本だとマナガツオは高級魚の部類であるが、広州湾では小型のものが良く採れるのか、日本におけるアジ、のような位置づけで、わりと庶民の魚なのである。これを生姜とネギと一緒に蒸して醤油と香味油をかけた料理は、まったく広東の家常料理である。深圳の電子市場ともなれば、中国南西部のみならず、海外も含めていろいろな地域の人が集まるからだろう。野菜の小皿と、豆腐(油揚げや湯葉など)料理、それに一品くらいで充分である。
むろん、湖北や湖南、四川の人など、辛い料理を好む人も多くいる。大陸南西部の、農村の料理は概して辛い。辛い味が好きであれば、清算するレジの前に、真っ赤な辣醤が置いてある。好きなだけどうぞ、というわけである。
”蒸菜”は、食べたい分だけ料理を見ながら頼めるので、あまり現地語に詳しくない旅行者にも便利かもしれない。
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さて、こうした昼食をとる簡便な店も、今や携帯電話での決済が一般化している。またこのフード・コーナーは共通のプリペイドカードがあり、それにいくらかキャッシュをチャージして、決済時に支払っている人が多い。しかしいずれにせよ、短期滞在の外国人にはかえって不便である。実のところありがたいことに、現金での決済も可能なのである。さすがに深圳の電子市場、出張で来ている外国人も多いのであろう。
「現金決済が併用なのは当たり前では?」と言われるかもしれないが、さにあらず、である。少し大きなショッピングセンターの中にある、麺などの軽食を出す小さなテナント店では、オーダーも決済も、スマートフォンで”微信”という(日本のLINEのような)メッセージツールを使わないと、出来なくなっているところも多いのだ。いや、出来ない、といっても強いて言えば出来ることもあるのだが、なんとも面倒である。
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そういった店では、席についてからまずはバーコードを読み取り、その店の微信のアカウントを登録する。そして微信からメニューを開き、注文と決済を同時に行うのである。こうすると、小さな飲食店などでは、スタッフが注文を取りに来る必要もないし、清算時のレジを打つ必要もない。究極、人件費が削減できることであろう。ファストフードや、ファストフード化したチェーンの飲食店などは、こうした仕組みでも使わないと、回らないのかもしれない。
実際に、宿泊したシェアハウスの近くのショッピングセンターの地下で、昼食でひとりで麺を食べようとしたところ、これが微信を使わないと注文も出来ない店なのである。微信は持っているが、あいにくまだ決済機能の”微信支付”の準備がない。登録するには、引き落とす銀行口座の登録が必要なのである。中国人民銀行の口座はあるにはあるが、口座に登録した電話番号が必要なのであった。昔の携帯番号は長いこと使わない間に廃止されてしまったので、登録を終えることが出来ない........というわけで、10元ほどの麺ひとつ、食べられないのであった。
おもえばその昔、大陸を初めて旅した時などは、庶民的な店で簡単に食べようにも、言葉も今よりはるかに未熟であったし、注文の要領がわからなくてずいぶん難儀したものである。往時よりもはるかに便利になった現在に、ふたたび難儀しようとは、これは想像の埒外である。もちろん”微信支付”の登録を完了すれば、むしろ簡単に食事がとれるかもしれない。しかしいかんせん、短期滞在の外国人がこのシステムから疎外されていること、はなはだしいと思うのは自儘というものであろうか。
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10年位前は、小さな飲食店などは、地方から来た若いスタッフが大勢で切り盛りしていたものである。ところが現在は、人件費の高騰、さらに不動産の暴騰のために、スタッフ用の住居の確保もままならなくなってきている、という現実がある。
こうなってくると、都市部の飲食店は、ある程度の規模の資本力のあるチェーンや、フランチャイズの飲食店ばかりが増えてくる。たしかにある種の清潔感はあるし、味も悪いわけではない。しかしおしなべて大味で、個性がないのはいかんともしがたい。あの街に行ったらあの店に行こう、というような、惹きつける魅力には乏しいのである。それは、日本でも大手資本の巨大ショッピング・モールなどでもみられる光景かもしれない。資産インフレが昂進すると、こうしたつまらないことが起こってくるのである。
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実のところ、この”蒸菜”の店はむかし経験した”長沙蒸菜”というよりは、広東の家庭料理の”蒸菜”だったわけであるが、利用しやすいので電子市場を歩いた日の昼食は毎回ここにしていた。値段も、スープと魚料理をつけても、300円しないくらいである。”長沙蒸菜”ほどの料理のバラエティはなかったものの、辛くないので食べやすい。おしなべて平凡な味付けの”家常菜(家庭料理)”であるが、もちろん、華強北の電子市場は食に期待してゆくところではないのである。
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