世界は広いから.....

深圳の朋友を訪ねた時の事。「妹が書置きして出て行った。」と言って、一枚の紙切れを小生に見せるのであるが.......
「世界那么大 我想去看看」とある。直訳すれば「世界はあんなにも大きい。私は観に行きたい。」というところである。この朋友は電子機器の輸出、国内販売の商売を手掛けているのであるが、この妹もなかなかのやり手で、たしか電子基板の検査機械の販売事業を個人でやっていたはず.......仕事を放りだして「出奔」したのか?と、やや唖然としてしまった。その下には「ちょっとしたら戻るから、心配しなくていい」旨が追記されているので、騒ぐほどの事は無いのかもしれないが、なかなか大胆な行動である。

しかし朋友がいうには「世界那么大 我想去看看」は、最近の中国の流行語なのだそうだ。もとはと言えば、河南省の中学校のある教諭が「辞職申請」をした際に、その理由として「世界那么大 我想去看看」とだけ記した便箋の画像がインターネット上に出回り、これを真似して、ちょっとした外出の際のメッセージにするなど、さまざまな場面で使われ、瞬く間に拡散したのだという。
いわゆる「退職願」のその便箋は、勤務している学校名の入った赤い罫線の簡素な便箋で、ペンで「辞職申請、世界那么大 我想去看看」と年月日と姓名が記されただけのものである。「世界那么大 我想去看看」という語をちょっと検索すれば、この画像は容易に目にすることが出来るだろう。

学校の教諭といえば、安定して一生勤めることが出来るという意味では、今の大陸では人気の的の職業なのである。給与があまり高くなくとも、様々な「役得」もある。出張は少ないし、転勤もほとんどないから、家庭の安定を望む向きには、垂涎の職業なのである。しかもくだんの河南省の中学校は「実験中学校」である。これは文字通り、先進的な教育方法を「実験」する学校という意味で、裏を返せば公立の名門進学校なのである。そのような学校の教諭が「世界那么大 我想去看看」と、事務用の便箋にペンで走り書きした「退職願」一枚で"Good bye"してしまうあたりに、ある種の爽快感を感じなくもない.......その後の生活はともかくとして。
何はともあれ「世界那么大」が爆発的に流行した背景には、裏を返せば現代中国の社会に、ある種の閉塞感、抑圧感の蔓延があるからかもしれない。

さて、朋友の妹は二日ほどして戻ってきたという。実際には杭州に友達の結婚式に行っていたのだそうだ。それだけであれば2,3日で済むはずであるが、都合一週間近く出奔していたのは「旅行中にはいつも大きな注文が入る」というジンクスのためであるそうな。個人で会社をやっている「小老板」のこの妹君なのであるが、仕事内容はメールや電話一本で済むようなところがある。今風にいえば「ノマド・ワーカー」というところかもしれないが、このような若い小事業主というのは、深圳あたりには結構いるものである。移動、という意味では中学校の先生よりははるかに自由度が高いが、安定が約束されているわけではない。その辺の”バーター”は、あるいはどこの世界でも似たようなものかもしれない。

ともあれ名門中学校の先生が書き残した「世界那么大 我想去看看」である。進学校で受験勉強に明け暮れる生徒達に、強い印象を残したことが想像されるところである。
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生意還可以

大阪の挨拶に「もうかってまっか?」「ぼちぼちでんな。」という受け答えがあるという事は、大阪以外に住んでいる人にも広く知られているだろう。しかし大阪にかれこれ十数年住んでいて、実際にそのようなやり取りを耳にしたのはほんの数回である。普通に街を歩いているくらいでは、まず耳に入ってこないやり取りであろう。
どのような状況で使われるかというと、場所で言えばキタやミナミの繁華街や、オフィス街などではなく、どちらかというと下町寄りの地域。人で言えば”商い”を長くやっているような、それはそれは年季の入った商売人が、それも長年の商売相手同士が会った時にのみ、ごく自然とかわされるものである。なので大阪に長く住んでいても、そういう地域や人に近いところでなければほとんど聞いたことが無く、耳にしたときは思わず”ハッ”とするほど珍しいものである。

「もうかりまっか?」を、大阪で普通の人が使う事はまずありえない。しかし「ぼちぼち。」というのはなかなか使い勝手の良い言葉で、時々使用される。商売の様相だけではなく、進捗の度合いを表現するにも「まあ、ぼちぼち進めておきますわ」のように使えるものである。
また知られているように「もうかりまっか」に対する返答の「ぼちぼち」は、実際に「儲かって」いるかどうかにはかかわらず、常に「ぼちぼち」なのである。「もうかってまっか?」に「今月はあかんわ」と答えるのは、それこそ「お早うございます」に「もう10時ですが?」と答えるようなものかもしれない。
そこは長い付き合いを大切にする大阪の商売人の間で交わされる挨拶である。同じ「ぼちぼち」であっても、その時のなじみの相手の顔つきや口調から実際の景気が悪いかどうかはすぐに察せられる、という塩梅であり、そうでなくては小商いを長く出来るものではない。
仮にもし「もうかってまっか?」に対して「大繁盛してるよ。」などと言おうものなら、そこは商売同士のやっかみもあろうし、取引相手なら「じゃあ、少し値引してや」などという、余計な話に発展しかねない。
また反対に「いやあ、全然だめだね。」などと言おうものなら、ゲンを担ぐ商売人なら「不景気がうつるわ」と思われて嫌な顔をされたり、もしかしたら借金を申し込まれかねないから早く退散しようとか.......ともかく「いらんこと」を言わないという大阪の流儀に則った、もっとも無難な返答が「ぼちぼち」なのである、というのが大阪でかれこれ十年以上暮らしている、東京人としての自分の理解である。

日本では景気はタクシー運転手に聞け、と言われる事があるが、大陸においてもそれは同様である。日本のタクシーではここ十年ほど、「景気はどうですかね?」と聞いたところで「まあ、良くないねえ。」という様な返事が返ってくるものであった。
同様に大陸に出かけている間、タクシーに乗る時などは運転手に「最近生意好不好?(生意は景気;景気はどうですか?)」という質問をしてみる事にしている。
この質問に対して、ここ数年ほど最も多い返答が「还可以」であった。「还」は繁体字で書けば「還」になるのだが、現代中国語では「还」は冠詞的に使われた時は「まだ、なお」というような意味になる。「可以」は良い、OKくらいの意味なのだが、「还可以」というと「まあまあ」とか「まあ良い」という意味に相当するとされる。
「生意好嗎?」あるいは「生意好不好?」に対しては、ほぼ「还可以」という返事が返ってくるので、なるほど景気は「まあまあ」なのかと思っていた。なので「那好啊(それならいいね)」というように返事をしていた。要は「还可以」も大阪における「ぼちぼち」と同じ程度の、文字通り良くも悪くもない、というくらいの意味にとらえていたのである。

しかしある時、上海で朋友と一緒のタクシーでいつものようなやり取りをしているのを聞いた朋友が「还可以、というのはですね、それほどいい意味ではないですよ。」という。「日本語で”悪くない”、というと、どちらかといえば良い方の意味に傾いていますが、中国語の”还可以”はどちらかというと悪い方の意味です。」という事だ。そこで朋友が上海語(小生には聞き取れない)でタクシーの運転手と二言三言話をした後で「なんとかやっていってる、なんとか食べていけている、という感じだそうです。」と教えてくれた。なるほど。
おもえば今まで「なんとか食べていけているよ。」という返事に「それなら良いね。」と答えていたのは、”皮肉”な意味合いに受け取られていたかもしれない........しかし思い返せば、ずいぶん前から景気はあまり良くなかったのかもしれない。

ともあれ、渡航中の見聞による限りでは、経済指標はともかく、巷の景況感は必ずしも芳しいものではない。屯溪の老街で商売をやっている朋友などからは、はっきり「不景気」という声も聞こえてくる。目下日本は大陸からの観光客が押し寄せ、唖然とするほど大量の買い物をしてゆく姿を目にするが、それに反比例して大陸の個人消費は冷え込んでいるように思える。これはあながち現政権の「贅沢禁止令」の影響だけではなく、そもそも個人消費の拡大に必要となる、健全な流通と市場の形成を怠ってきた、その”ツケ”が響いているともいえるかもしれない。逆に考えれば、その部分を改善すれば、まだ大陸経済に成長の余地はある、というのは事実である。経済派官僚のコメントを見る限りでは、彼等はそれに期待している。しかしそれも、現時点ではあくまで机上論である。経済に占める政府の役割があまりに大きく、かつ権威主義的な政治体制下にあっては、大陸の人が日本や欧米諸国で”爆買い”しているような、”便利な商品”や廉価ながらも”洗練されたサービス”は生まれにくい...........

日本もバブル崩壊後、国内景気が低迷する半面、海外旅行や海外投資は盛んだった。国内でお金が使われず、海外で使われるものだから、国内景気が不活発なのも道理なのである。現代の中国は、かつて日本で起きたことがより極端な形で進行しているように思えるのである。「日本の道をたどりつつある...」というような事が良く言われるのだが、バブルのピークにおける日本の状況と、近年の大陸の状況を比較すると、その”同じ道”はどこかで必ず分かれる時期が来ると考えないわけにはいかないところである。

さて、今年の大陸庶民の景況感は「还可以」が続くのか、それとも........
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代購とEMS

大阪で、中国からの輸入食品を扱う店を経営している、紹興出身の女性がいる。旦那さんは貿易会社を経営し、男の子と三人家族で大阪に住んでいる。小生は彼女の店に時々中国の食材を買いに行く事がある。
彼女の親戚が中国の郵政の内部で働いており、最近EMSを扱う部署に配置されたのだという。その写真を見せてもらった。もらった写真なのであまり画質は良くないのだが、なかなか凄まじい光景だ。まるで地震で荷崩れでもしたかのようである。
中国のEMS事情中国のEMS事情大陸のEMSの内部の様相であるが、日本のEMSの内部は見たことが無いので比較し難いが、さすがにもう少し整然としているのではなかろうか。

しかしこの写真を見て思い当たる事がある........小生がお店の商品を出荷する際、休日や夜間の窓口は少し大きな郵便局しか開いていないので、そのような郵便局に足を運ぶことになる。都心の繁華街の大きな郵便局に行き、列に並んでいると、自分の前後にはほぼかならず外国人がいる。大きな段ボール箱を窓口に置いて郵便局の人から説明を受けているのは、これはほとんど大陸の人である。
郵便局員の人曰く「地方でしたらねえ、二週間くらいかかるかもしれませんよ。今大変混雑しているみたいなのでね。いえいえ、日本側ではなく、中国の方で停まっているみたいなんですよ。」そのような話をここの所よく耳にするのである。
”二週間”というのはEMSではなくSAL便の事だったかもしれないが、ともかく航空便を使って二週間という時間のかかりようはどうか?というところだ。
小生は上海の朋友と荷物のやり取りをすることがあるが、浦東に住む朋友からだと二泊三日で届くこともある。もっとも、内容が書類やちょっとしたサンプル程度だからかもしれないが。あるいはそれは日本人から中国の人に宛てた場合だからかもしれず、大陸の通関でも早めに通してくれているのかもしれない(良く知らないが)。この間、湖南省の長沙の朋友にEMSで少しお菓子を送った時でも一週間であった。小生のイメージではSAL便を使って大陸へ荷物を送っても、一週間くらいがせいぜいだったと思うのであるが、最近は事情が違うのだろうか。
中国のEMS事情そもそも膨大な荷物が中国に届くというのは.....あたりまえだが海外にいる中国の人が買い物をしてそれを送るからである。統計データが無いので断言できないものの、確信的推測を以てその大半は日本から送られる荷物であろうと察せられる。

「代購」、つまりは「代理購入」という言葉があり、日本に滞在している大陸の人はこれをせっせとやっている人が多い。無論、友人や親類に依頼されての買い物もあるが、量を買うのはほとんどセミプロである。留学生の多くもアルバイトで是をやっている。結構いい稼ぎになるのだそうだ。日本の家電量販店やドラッグストアで大量購入をしているのは、観光客に限らないのである。
中国のEMS事情この写真を見せてくれた紹興の女性も、輸入食料品店を営む傍らで「代購」に勤しんでいる。大陸にはWeChatというメッセージソフトウェアがあり、多くの人が使用している。小生も大陸の朋友との連絡のために使っているのだが、これは1対1でメッセージをやり取りする以外にも、自分とつながりのある人全てに向けて情報を発信する機能もある。その機能を使って「お勧め」の商品などをPRし、購入希望者を募ったりもする。この紹興の女店主のイチオシは「酵素」なのだそうだ。他にも衣料品や医薬品など、小生も知らないような、実に細かい商品の情報が飛び交っている。

人気商品の紙おむつの「メリーズ」などは、小売店も今や品薄で購入制限をしていたのであるが、そういうところにもアルバイトの学生数人がミニバンか何かで乗り付けて「おひとり様何点」の制限まで買ってゆく。これを中国に送って転売するのである。
さすがに小売店の方も業を煮やしたのか、母子手帳を持っていない人には販売しない、と張り紙で告知ところも出来たくらいである。その告知を見てさすがに朋友の何人かは「中国人として恥ずかしい」と言っていたものである。その張り紙の写真がWeChat上で拡散したらしい。しかし別の朋友などは「母子手帳の偽物もあるんですよ。」という。これはもう、なんといいますやら。
「メリーズ売り切れて無いなら、パンパースで良いじゃない。」と言ったら「パンパースは赤ちゃんのお尻少しかぶれる」のだそうだ。高分子吸収体の性能の差であろうか。しかしよくご存じである。それにしても........

日本の小売店で商品を購入し、EMSで送った場合、貿易統計の「日本→中国」の輸出額に反映されるのだろうか?

という疑問がわく。EMSには商品金額を記載する事になっているが、ほとんど過少に記述しているだろうから、中国の税関側でも正確なところは把握できないだろう。
何故このような「個人輸入」が莫大な量になってしまうのか、それはわからなくもない。品質の違い?円安だから?あるいはそもそも中国の人口が多いから?それも要因ではあるが、それならどこかの商社が大量に正規輸入して小売店で売ればいいじゃない?という事になる。しかし中国は”正規輸入”のハードルが実に高いのである。
くだくだしくは述べないが、正規輸入するには輸入権を持つ貿易会社である必要がある。また輸入手続きが煩瑣である。さらに輸入に際して仮に関税が安い品物であったとしても、17%の?値税がかけられる。それに流通、小売りを考えてゆくと、大陸のスーパーや百貨店に並んだ時には、日本の定価よりも高価になってしまうのである。

なので欲しい人は「代購」を依頼するし、「日本から輸入して商売しよう」と言いう人も正規輸入を通さないで、個人輸入でなんとかしてしまう。飛行機代がかかるにしても、その方が安いのだそうだ。また富裕層にとっては、値段は関係なく、要は日本でパッケージされた「本物」が欲しいのだそうだ。ついでに言えば、送料を安くしたいならいっそ船便で運べば.......と考えたいところだが、船便よりもEMSなどの空輸の方が、実は税関のチェックがさほど厳格ではない、という事情もある。空輸される空港の税関は、港湾と違って荷物のスペースがさほどないので、ゆっくり審査していられないのである。
かくして大陸郵政当局のEMS部門も、ここに掲げた写真のような仕儀に至るというわけである。

長崎の出島ではないが、莫大な利益を生む貿易は、かつては国家なり政権なりがその権益を独占するものであった。その昔、大陸から日本へ輸出される文房四寶は「上海工芸」という国営商社が一手に扱っていたものである。国は貿易に関しては関税をかけるだけで良いじゃない?と言いたくなるが、いやいやその関税すらも撤廃して行くのが世界の流れではある。TPPの是非はともかく、たとえば関税をかけた上に貿易商社が国営であったらどうだろう?消費者の手に渡る頃には、相当な国の”取り分”が乗っかっているというわけである。
「これは中国で売れる!」と思っても、”正規輸入”をしようとすると簡単に事は運ばない。いや、いくつか検討した事もあるのだが、無理ではないにしても「その筋」に話をつけたり、とかく商売以外の面倒な事が多いうえに、税関を通らないリスクも考えなければならない。

この個人による「代購」熱も、いつまで続くかわからない。突然、どこかで強い規制がかかるかもしれない。またインターネットショップの大手が「代購」に乗り出してきている。

傾斜しつつある中国経済であるが、不動産やインフラ投資に代わる経済の牽引役として期待されるのが”個人消費”なのだそうだ。しかしその”個人消費”のかなり上質な部分は、海外で”消費”されてしまっているように思われてならない。本来、自国で生産し、流通、消費された方が経済への寄与は大きい。そうならないのは、国民が国産の品質を信頼しない上に、流通している品物の真偽を疑っているからである。
海外からの輸入品をありがたがること、それは日本も例に漏れないのであるが、それにしてもここまで日常の些事にわたる必需品まで、海外から買う必要があるのだろうか?と考えてしまう。
「世界最大の市場」を喧伝された中国市場であるが、たしかに巨大ではあるが、同時に非常に不透明で不健全な市場と言っていいだろう。この”市場”の潜在力を当て込んだ”中国経済楽観論”も多く目にするが........大陸の人の消費の在り方の現状を見る限りでは、いまひとつ賛同しかねるのである。
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香港のデモに思う

香港の自治と民主を守るため、中高生が立ち上がった。旺角に住む朋友の話では、はじめは大学生、中高生を中心としたおとなしい抗議活動であったのが、警官隊が学生達に向けて催涙弾を発射したことで状況が一変したという。89年の天安門事件を彷彿とさせるこの光景に憤慨し、デモに加わる大人達が増え、警官隊は撤収を余儀なくされたという事である。Wan ChaiからCuaseway Bay、Armalty、CentralそしてMon Kokにたちまち抗議活動が広がった。抗議活動といっても、道路の占拠や座り込みといった、平和的なもので、暴力沙汰などは無いという。
香港ではデモがよく起こる。しかし香港の人というのは、デモ慣れしているというか、常に目立った混乱もなく収束する。取り締まる側も、交通整理をする程度の事で済んでいる。

要求は、行政長官の辞任と、行政長官選挙の完全な民主化である。
行政長官の普通選(2017年)につき、香港政庁は諮問に偽り、民意を反映しない報告を全人代に上申。全人代 常務委員会はこの報告をベースにして、民主派を普選から完全に排除する枠組み案を下し、偽りの普選制度を香港に押し付けようとしたのである。候補者を大陸政府が限定するという、急に押し付けられたやり方は、約束された香港の「高度な自治」の原則に明らかに反している。”民、無信不立(民、信なくんば立たず) ”である。”孔子学院”を奨励して、子供に論語を読ませていても、実際の政治がこれではどうしようもない。

デモが暴動にエスカレートする国も少なくないが、香港のデモは民主的な抗議活動の範疇にあるといえる。そういういつもの香港のデモの様子を知っている人からすれば、警官隊の催涙弾の使用はあきらかに行き過ぎである。ストもデモも、民主国家では権利として認められた行為である。しかし警官隊が催涙弾を使用したいう事実は、香港当局者あるいは、背景の大陸政府首脳の焦燥を反映しているとみることも出来る。結果的に、この処置は失敗だったと言わざる得ない。
大陸経済に多大な恩恵を受けている香港では、今回のデモに反対、あるいは懐疑的な見方も多かった。大陸からの観光客や買い物客が来なければ、現在の香港経済は成り立たないとも言われている。明日のご飯を心配しなくてはならないオトナというのはこういった場合は弱いもので、時に明日のご飯よりも優先しなければならないことがある、という事を忘れてしまいがちである。
”長い物には巻かれよ”というオトナの論理に、若者たちは”NO!”を突き付けた。突き付けられたオトナの心に、果たして羞恥心が去来するかどうか?である。

大陸では今や、政府や大企業の幹部になるには、学歴の他にも門地が重要である。いや門地があれば、学歴はもはやさして重要ではないかもしれない。金を積んで海外に留学でもさせればいい。高い学歴があり、実務能力に優れていても、門地が無ければ先は見えている。姻戚関係を結ぶか、あるいはハードワークと引き換えにそれなりの待遇を与えられるか。だとしても、所詮それは門閥で占められた特権階級を養うために働かされているようなものなのである。もちろんそれで良い、充分、というのもひとつの考え方ではあるだろうけれども。

「子供は社会を知らず、生活の心配が無いから理想に走れるんだ。」という趣旨の批判をするオトナもいる。香港の財界人にこの種の発言が多い。彼らは自分たちの成功が、香港の自由と民主的な自治に支えられたものであるということを、わすれてしまっているかのようだ。
しかし大学生にとっても、中高生にとっても、さほど遠くもない未来に、自分たちがおかれる境遇について抗議しているのであり、これが切実なものでないとは言えないだろう。それは今年3月に台湾議会を占拠した、台湾の学生達も同様である。オトナ達に突き付けられた命題は極言すれば、「ぼくたちは奴隷にはなりたくないんです。」という事だ。
一体、何人(なんぴと)が、これを否定するせざるあたわず、である。

香港にせよ、台湾にせよ、大陸の政治経済に併呑されれば、いくら優秀な若者であっても、大陸の肥大した特権階級を支える側に回らなくてはならないのは目に見えているのである。高度な教育を受けながら、アンフェアな環境で競争したいと思う人間がいるだろうか?しかしそんなこと以前に、香港や台湾の若者ほどに、民主的で法治に理解のある人々に「カネのために隷属に甘んじろ」というのは侮辱以外の何物でもないだろう。これはヒトとしての尊厳の問題でもあるのだ。
89年の天安門事件以来、それこそカネのために自由やら民主といった価値観をどこかに置き忘れてきてしまった大陸の人々にとっては、今年の初めの台湾や今の香港の状況というのは、かならずしも多勢の同情をひくものではない。要約すれば、「大陸の恩を忘れたのか。」というような批判の声も大きい。
「恩」......大陸経済の恩恵を受けた、という意味では恩かもしれないが、一方でそれは商取引の範疇にあったものである。また今でこそ香港の経済的地位もかつてほどではなくなったが、改革開放経済の過程で大陸も香港の位置と経済システムに、どれほどの恩恵を受けてきたか.......いや、そもそも社会制度を「恩」の貸し借りではかるという考え方自体、あまりに”封建的”である。縁故主義が蔓延した大陸社会らしい見方であるが、かつて”革命”が打倒しようとしたのが、そのような”封建社会”であったはずなのであるが。
今の大陸政府に特徴的な、経済的な恩恵を受ける代わりに政治的要求も受け入れろ、という考え方。それは今の世界では受け入れられませんよ、という事にはそろそろ気がついても良いころである。

大陸政府にとっては待望の台湾の親中政権であり、大陸との統一に前向きであった馬英九政権も、ここへきて習近平政権への警戒感を強めている。大陸政府が提唱する「一国二制度」は、台湾としては到底受け入れられないと、再三表明するに至っている。香港のデモの主張では「一国二制度を堅持しろ」という主張なのであるが、台湾の馬政権は「一国二制度も受け入れられない」という主張である。この違いは大きい。
台湾独立派からは批判の多い馬英九政権であるが、馬英九総統の目標は、最終的には大陸を民主化することであり、共産党に台湾が併呑される格好での統一などはない。
前の胡錦濤政権下で台湾と大陸が歩み寄ってきたのは、経済協力関係もさることながら、いずれ大陸も”民主化”するという、政治上の価値観を暗黙裡に共有できていたからでもある。それが習近平政権になってから一変し、再び強権独裁を強める大陸と台湾の関係には、微妙な距離が開き始めている。台湾の独立か?大陸との統一か?を巡っては、台湾でも激しい意見の対立があるが、共産党の統治を受け入れるべき、という台湾の人は皆無に等しい。逆に馬英九総統の目指す「大陸の民主化」などは、現在の共産党政権にとっては、到底受け入れがたいものであろう。
習近平政権が提唱する「一国二制度」を、重ねて馬英九政権が拒否しているのは、現在の大陸政権に対する不信感が増しているからに他ならない。そこへ来て、香港の今回のデモである。台湾としても、経過を注視せざる得ないだろう。自由主義、民主主義の発展に対する大陸政府の姿勢を見極める、これが試金石になるからだ。それは台湾のみならず、日本を含む自由主義諸国にとっても、多かれ少なかれ同様の意味を持つことになるだろう。
「いずれ大陸も民主化、自由化するだろう」..........今回の香港のデモは、現在の北京政府のメンタリティに対する、世界の自由主義の国々の、そんな甘い幻想を打ち砕く契機になるかもしれない。
香港における民主主義の後退を、世界は坐してみているだけなのであろうか。

89年の天安門事件によって外資が一斉に引き上げたことで、90年代の中国経済は苦境に陥った。辛うじて救ったのは、いち早く戻ってきた日系資本である(その”恩”は忘れられているが)。また93年の朱鎔基の登壇と国有企業改革は、まさに痛みを伴う改革であった。その改革が2000年代の躍進の基礎となるのであるが、90年代の終わりにかけて成長率は下落し続け、98年のアジア金融危機では気息奄々たる状況に追い込まれている。
現在の中国経済も、巨大な不動産市場が凋落をはじめ、地方政府の債務比率(資産に対する負債の割合)は100%を超え、中央直轄の大手国有企業の債務比率も7割近くに上っている。肥大化した理財商品市場.......90年代もノンバンク系金融の肥大化と破綻があった...........そこにも綻びが見え始めている。輸出は数字の上では堅調だが、世界各国の対中直接投資は激減し、外資に牽引された国内資金の伸びは大幅に鈍化している。このような状況で、香港のデモが”天安門化”するのは、北京政府としても避けたいところであろう。まさにそのようなタイミングで、今回のデモは起きた。デモが要求するような長官選挙の民主化は、北京政府には断固拒否されるであろうけれど、あるいはそれも計算の内か。デモはデモで終わるかもしれないが、想像以上に北京政府の”痛いところ”を突いているのは間違いない。

思い起こせば、暴徒化した大陸の官製”反日デモ”と好対照であるが、過激化しない香港の民衆デモは、彼らが自由と民主に値する市民であることを、如実に物語ってもいる。またそれを強行に排除しようとすれば、当局者の横暴ぶりが一層際立つことだろう。なかなかしたたかな計算が働いた演出でもあるが、それを実行に移すことが出来るのも、香港の市民社会の成熟の成せる技である。果たしてこの香港市民が、民主主義に値しない人々であろうか。
普段「拝金主義的」と香港人を斜めに見る大陸の人々は、自分たちの社会でこのようなデモが可能かどうか、ちょっと考えてみてほしいところである。

香港の朋友曰く、その昔、習近平が香港にやってきたときに「香港はなんで三権合作(協力)しないのだ?」と言ったそうだ。以来、その朋友は習近平の政治に対するメンタリティを信用出来ないのだという。確かに、三権分立というシステムの妙を、理解できていないかのような発言である。
市場経済の健全な発展には、自由と民主、法治の徹底が不可欠である。しかし大陸政府は、三権合作.........権力のチェックアンドバランスの意義を理解しようとしない。それが不完全なままに市場化を推し進めた結果、大陸では縁故主義と官僚主義が蔓延した、巨大だが不健全な市場が形成されてしまっている。
あるいは、お腹いっぱい食べられて、安寧な暮らしが出来るなら”自由”など要らない.......というオトナが大半かも知れない。しかし香港や台湾の若者達が要求しているのは、そんな安逸に堕したオトナが考えるような”自由”ではなく、まさに安心して暮らせる社会の基礎となるべき、制度上の自由や民主の保障なのである。
現在の中国政府が目指しているのは、特権階級の安定と一党独裁を維持しながら、自由主義市場経済の”旨み”のみを味わおうとする、ムシの良い目論見であることを、香港の若い人々の慧眼は見抜いているのだろう。

台湾でも香港でも、オトナが言えなかった事、”王様は裸だ”と叫んだのは、やはり子供達だったというわけである。
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大陸の資産インフレの行方は....

別段、大陸の不動産の購入を検討しているわけではない。おもえば人の一生そのものがこの世の仮宿りのようなものであり、住んでいるところが借家か持ち家かなどということは、そもそも気にすることではない........というような態度は、かの国ではあまり賛同してもらえない。

それはさておき、不動産市場を少し気を付けて観察している理由は、控えめに言ってもこれが中国経済の”生命線”だからである。いや政経一体のかの国にとっては、経済どころか”政治”においても同様であろう。

新房、二手房


中国の検索サイト「百度」(http://www.baidu.cn)で「○○房价」と、○○に上海や北京など、都市名を入力して検索すると、大陸各地の主要都市の不動産価格(すなわち房价)の推移グラフが現れる。青い線は「新房」すなわち新築物件、黄色い線は”二手房”、つまりある人から売りに出された物件である。
”二手房”に”中古物件”という訳が充てられている例を目にするが、日本のマンションなどにおける”中古物件”と、現代中国の不動産市場における”二手房”は、やや違ったニュアンスがある。「二手」というのは誰かの手から手へ、というのが文字通りの意味であるが、かならずしも誰かが何年か住んでいた物件、ということではない。正確には新築物件が購入され、購入者が不動産登記を済ませた後、再び不動産市場に売りに出された物件、という意味である。
たとえば北京と上海を比較するだけでも面白いのであるが、北京は”二手房”が”新房”よりも2割以上高い。反対に上海は”二手房”が”新房”よりも1割以上安い。直感的に、新しい部屋よりも「古い」部屋が高いというのは理解しにくいのであるが、天津、杭州や南京、広州、武漢、成都などのほとんどの主要都市は同様に”二手房”の方が平米あたりの単価が高い。しかし上海や深 祁、南昌、蘇州、無錫といった都市は”新房”の方が高いのである。
この理由は、”二手房”というのは、すでに住居として完成しており、対して”新房”というのはまだ完成していない「完成予定」の部屋も含むのだという。内装も何もされていない部屋に比べて、内装などにコストをかけているために、高くなるのだという。また”二手房”は、周辺の商店や学校など、生活のインフラが整っている場合が多く、すぐに入居して生活を始められるだけに、需要が高いとも言う。他、税制や不動産登記の費用など、いくつかの理由があるそうな。
全国平均のデータは無いが、新房も二手房も、軒並み今年の5月から下落基調である。また昨今騒がれているような値下がりは今に始まった事ではなく、2011年の7月〜9月あたりから2012年末にかけて、横這い、ないし緩やかに下落している都市がほとんどであることもわかる。それが2013年の1月ごろから再度上昇に転じ、とくに昨年9月ごろからの上昇が目覚ましい。しかし早いところで今年の1月、遅いところでは4月にピークを打ち、そこから横ばい、あるいは微減を開始している。

断供棄房と炒房団


”弃(棄)房断供”あるいは”断供弃房”という語がある。”弃房(棄房)”は部屋を捨てるの意、”断供”は契約したローンの月々の返済が滞る事。要は住宅のローンを払いきれなくなってしまい、銀行からローン契約の違約を追求されて、部屋を手放さざる得なくなる状況の事である。現在大陸ではこれが急増している。こうした状況に陥った人の多くは、住むための部屋ではなく、”投資”ないし”投機”を目的として部屋を購入した人だという。このような不動産投資をこととする人を”炒房客”という。
”炒める”というのは要するに”煽(あお)る”ことであり、投資というより投機に熱心、というニュアンスがある。”炒飯(chao fan)”ならぬ”炒房(chao fang)”というわけである。”炒房団”といえば、”不動産投資グループ”という意味になるが、集団で価格を吊り上げる連中、というような意味でも使われる。”炒房客”は、お金持ちに限った話ではなく、銀行で長大なローンを組んで値上りをじっとまっている庶民もすくなからずいる。

ちなみに”炒股”といえば株への投資であるが、”炒股団”というと、どことなく”インサイダー”の匂いがしなくもない。またかつては”炒画団”(絵画投機グループ)や”炒瓷団”(陶磁器投機グループ)なんていう輩も、暗躍していた時期がある。鑑定家、批評家と結託して、贋物を本物と認めさせてオークションで高値で売ったり、オークションの落札品を高値で転売することを謀っていたのである。リーマンショックを境に減って、2011年ごろにはあまり聞かれなくなったが、絞り糟のような連中はまだそこかしこにいるものである。(あるいは”炒硯団”なんていうのも、はて?いるのかしらん。)

”炒房客”の発祥地といえば、浙江省の温州と言われており、また浙江省全体も”炒房客”が多いと言われている。浙江省の地方都市の庶民でも、やっとの思いでローンを組み、杭州や上海の手が届く部屋を2つ3つと購入して値上りを待っている、”炒房客”も多いのである。そうした”炒房客”はもともとそれほどの収入源を持っていないし、銀行以外にも頭金を親戚他から借金して払い込んでいる。だから何かの拍子に本業が傾くと、たちまち返済が滞ってしまい”断供棄房”ということになる。

温州房价


前述した百度検索で、「温州房价」と検索すると、この都市だけ特異な不動産価格の動きがみられることが分かる。2011年の11月に21,083元/平米のピークを付けた後、ほぼ3年間下がりっぱなしなのである。2014年7月の「新房」の価格はグラフから読めば13,679元、ピークからは30%にも及ぶ下落である。しかも今尚「底を打った」気配はない。とくに「温州炒房団」とよばれるほどの”炒房団”のメッカだけに、いち早く過熱した不動産市場が冷え、下落に向かった格好だ。
この温州では当然というべきか現在”断供棄房”が急増している。温州の”銀監分局”の統計によると、昨年の8月以来、温州で受理された”断供棄房”案件は1107件にのぼり、”棄房”に伴う不良債権額は64.04億元(およそ1000億円)に達するという。2013年の温州のGDPが4,000億元という事を考慮すると、GDP比で1.5%くらいだが、この程度では終わらないだろう。他、広東省の番禺などでも前年比で70%もこの種の訴訟が急増しているという。
温州や番禺の動向は、今後の大陸各都市の不動産市場の「未来形」を占う意味でも、注意した方が良いだろう。

ところで、当然ローンを払えなくなれば物件は押収されてしまうのであるが、アメリカの”サブプライム・ローン”と違い、部屋を手放してもローンの返済義務は残る。とはいえ、払えるはずもないので、残った借金は貸した側にとってはほぼ間違いなく”不良債権”になる。押収した物件は当然ながら競売にかけられるのであるが、期待通りの価格で落札される事も、もはや望めない情勢である。
温州の炒房団は、温州の不動産の高騰が頭打ちになると、売り抜けて杭州や上海など、さらに大都市の不動産の投資に向かった。この傾向は多かれ少なかれ大陸の地方都市に共通で、地方の中小都市の不動産が下げる中、上海や北京がしばし堅調だったのは、地方の物件を売り抜けた”炒房客”がより大都市の物件の投資に向かったからであると言われている。もっとも、上海や北京の市場が頭打ちの昨今、大都市の物件も売り抜けて、今度はロンドンやバンクーバー、シドニー、カルフォルニアといった海外の物件に向かっている。その後は........火星の物件にでも向かうかもしれない。

取消限购


”限购(限購)”という語があるが、不動産投資が過熱して価格が暴騰、庶民から不満が出たのに応じて、中央政府の指導により、地方政府が住宅用不動産の購入制限を実施したことを指す。この”政令”によって、一世帯が購入できる住宅用不動産が制限された。
これは各地方政府ごとに施行される”政令”で、2010年の4月に北京が実施したのを皮切りに、ほとんどの大都市がこれに追随した。北京は購入可能物件を”ひとつ”、深圳などは”ふたつ”など、制限の内容は都市によって違いがあるが、要は”炒房”の抑制である。
その”限购”も、今年の五月くらいから顕著になった不動産市場の低迷を背景に、”取消”する地方政府が相次いでいる。”取消限购”である。北京、上海、深圳など、不動産高騰の著しかった大都市を除く、地方政府ではこの傾向が顕著である。この際だから、投機でも投資でもいいから、”炒房団”に不動産を買ってほしい、という悲鳴にも似た政策の転換である。今のところ、上海や深圳は「限购」を堅守しているが、他は軒並み「取消」の情勢である。8月現在、主要70都市の中で、「取消限购」を施行したのは30都市に上る。
しかし不動産が下落を続ける状況下で、”炒房”が目的の連中が、”待ってました”とばかりに不動産投資に走るのかどうか。ここしばらく様子を見る必要があるが、”取消限购”した地方都市で不動産価格が力強い上昇に転じた、という話はいまのところ聞かない。住むわけでもない部屋は、値段が上がるから買うのであり、余力のある世帯でも、不要不急のものであればなおさら”様子見”するのが普通の判断だろう。

大陸の不動産市場は、もはや尋常な”需給関係”で指し測れるような市場ではない。不動産市場の低迷の原因を過剰在庫や購入制限に求めるのは、一面的に過ぎる見方であろう。

外匯占款


日本ではあまり注目されていないが、6月に入って中国の”外匯占款”が減少に転じたことが、大陸の経済ニュースではちょっとした話題になっている。
外匯占款は英語ではFunds outstanding for foreign exchangeという。日本語の訳では、これは金融機関のもつ「外国為替資金残高」になる。すなわち流入した外貨の"exchange"つまり両替に応じるための、各銀行の人民元の残高のことである。
中国は最近ようやく人民元で貿易代金を決済できるようになったそうだが、大半の中国の輸出企業は依然として米ドルで海外の取引先から輸出代金を受け取っている。あるいは広東の工場などは、米ドルあるいは香港ドルで受け取るところも少なくない。いずれにせよ”外貨”であるから、中国国内の決済には使えない。外貨では従業員の賃金や、資材調達の決済が出来ないから、これを人民元に交換する必要がある。人民元と外貨との交換には制限があるが、”輸出証明”という「この米ドルは、品物を輸出して受け取った代金ですよ。」という”証拠”を添えて申請すると、制限枠を超えて人民元に交換することができる。
なので中央銀行は、輸出や海外からの直接投資によって人民元の需要が増える都度、人民元を”増刷”し、外貨の”両替”の需要に応じる必要がある。”増刷”された人民元は、中央銀行から外貨を保有する商業銀行へ供給される。この外貨両替の需要に対応した”人民元”の総額が、外匯占款なのである。
外匯占款は、外貨が流入すれば増え、流出すれば減る。流出と流入を差し引いた残高が外匯占款である。流出と流入は常に双方向に流れているが、流入が流出を上回れば外匯占款は増え、逆の場合は減るのである。つまり外貨が流入超過することで外匯占款が増え、そのぶんの人民元が商業銀行に供給され、さらには中国国内に流通する人民元の総額の伸びにつながるのである。逆に外匯占款が減少すれば、流通する人民元の総額の減少につながる。市場に流通する資金量を”M2”というが、外匯占款の増加は”乗数効果”とあわせて、M2の伸びにダイレクトに作用する性格を持っている。

外匯占款の伸び悩み


外匯占款は毎月発表されるが、7月23日に公開されたデータでは、6月の外匯占款は294,513.41億元、その前の月の5月と比較すると-883億元の減少になったということである。減少と言っても微々たるものであるが、先月の5月末まで10か月連続で”増加”していたのが、ここにきて”減少”に転じている事は注目にあたいする。もっとも、減少の兆候は先月からあり、5月の外匯占款の”伸び”は前月からわずかに3.61億元であった。これは4月の外匯占款の”伸び”の1%を下回る非常に微小な”伸び”であった。また今年1月から5月まで外匯占款は増加を続けていたものの、その伸び率は漸減していた。ゆえに6月期の外匯占款の”マイナス”はある程度予想されていたことである。
7月の外匯占款の伸びは、378.35億元で、6月のマイナスを回復するほどではないが、若干のプラスに転じている。しかし2013年の10月の4,416億元、今年の1月の4,373億元に比較すると、1割に満たない規模であり、外匯占款のM2増大への貢献は既に限定的であるといえるだろう。
外匯占款の推移

6月に急減した外匯占款が7月に入ってある程度回復したのは何故か?と考えていた。外匯占款はおもに輸出代金の受け取りとと対中直接投資によって伸びてゆく。
7月の輸出は前月比で14%の伸びを見せている。しかし商務省が公開している「中国实际外商直接投资」をみると、7月は4割減となった日本を筆頭に、アメリカもユーロも、ASEAN諸国も、対中投資はのきなみ2割近い減少をみせている。かわって、イギリスが前月比70%を超える伸びを見せ、また韓国も伸びて、投資額では日本を上回る額に達している。
日米欧の直接投資の減少はイギリスと韓国が埋め、なおかつ輸出が急増したために、なんとか2か月連続での外匯占款の減少は防がれた格好である。しかしそれでも、6月の減少を回復するには至っていない。8月のデータは9月に公表されるが、さてどうなるであろうか?
それにしても、ここにきてイギリスからのタイムリーな対中直接投資の伸びは、何か政治的な背景が察せられるところである。

外匯占款→M2→不動産


この外匯占款がM2の伸びに大きく影響する事については先に述べた。外匯占款の増大に比例して、世間に流通する資金量が増えるのである。そしてM2の増大が......不動産を筆頭とする大陸の”資産インフレ”を支えてきたことが、それぞれの推移を比較すると如実に明らかなのである。
2008年以降の不動産価格の推移は都市ごとに異なっているが、俗に「北上広深」と言われる、不動産価格が高くかつ上昇の著しい四都市、北京、上海、広州、深圳の価格推移は良く似通っている。またこれら大都市の不動産価格の推移と中国のM2の推移は、グラフをみる限りではほぼ一致する。すなわちM2が大きく増える時期は不動産価格も上昇し、M2が横這いないし微増減する時期には、不動産価格も横ばいないし微増減にとどまっている。日本の”異次元緩和”が狙ったように、市場に流通する資金量が増えれば資産インフレが起こるという、そのメカニズムはことさら説明するまでもないだろう。
とくに昨年の9月から1月まで、外匯占款は大きな伸びを見せ、つられてM2も増大し、上海を筆頭に不動産価格が押し上げられている。上海は実に前年比30%もの伸びである........異常というよりない。さらに言えば、M2の拡大に支えられている大陸不動産市場は、需給関係といったような、市場原理による価格の決定メカニズムとはすでに大きく乖離してしまっている、と見ることも出来る。

外匯占款と人民元キャリートレード


今年の2月に人民元が急落している。中国の金融当局の誘導によるという見方が主流であるが、元安誘導の目的は何であろうか?元安誘導によって輸出を伸ばす、という事も理由の一つかもしれないが、より直接的には昨年の9月以来の海外からの投機資金の流入の流れを、一度断ち切りたかったと考えられる。
昨年の9月から、米中間の金利差を利用した、ドルと人民元のいわゆる”キャリートレード”が規模を拡大していた。つまり金利の安いドルを借り、金利の高い人民元(建ての資産)に投資するだけで、金利差によって楽に利益をあげる事が出来たのである。何故、昨年の9月から急増したかといえば、おそらく9月にFRBが量的緩和の縮小開始を今年の2月と宣言した事が関係してるかもしれない。すくなくとも2月までは、緩和縮小はしないという確約が取れた事で、米国内にありあまったドルが人民元建て資産の投資に向かったと考えられる。
この”キャリートレード”の急増のおかげで、年初来停滞気味だった大陸の不動産市場は昨年9月から再び過熱し、上海では30%もの上昇をみせている。上海が特に伸びたのは”自貿区”の設置による、経済発展に期待が寄せられたという事もあるかもしれないが、それでもその”原資”の多くは、海外からの”ホット・マネー”の流入であったことがうかがえる。6月の水面下での金融危機を受け、下半期では緩和に傾いた人民銀行ではあったが、それにしても不動産バブルのこれ以上の昂進は望んでいなかったはずである。

大陸の金融当局の思惑を察するに、”M2→資産インフレ”の流れに関しては、これ以上の急激な伸びは困るが、急減も困る、というところであろう。外匯占款のM2に寄与する割合が”横這い”であれば、M2の増減は金融当局......人民銀行のさじ加減でコントロールしやすくなる。
しかし海外との資金の流出入に関しては、必ずしも当局の思惑通りにはいかないものである。5月、6月の外匯占款の急減を見て、ふたたび人民元を上昇基調に戻したのは、海外からの対中直接投資が急激に減る事を防ぐ狙いもあったのだろう。
しかし当局の思惑通り、M2が横ばいに推移すれば、不動産市場価格も横ばい.......と考えたいところだが、価格が上がらなければ、”炒房客”は不動産を買わない。また”投機”目的ではなく、庶民が”マイホーム”としてやっとの思いで買うにしても、高い金利のローンは、不動産価格があがると思えばこそ組めるのである。不動産デベロッパーも地方政府も、多額の借金をして不動産開発を行っている。借金には利息が付くから、仮に価格が横這いであっても、いつまでも持ち続けられるわけではない。現金化するために値段を下げてでも売らざる得なくなる。

QE3の終了、アメリカの利上げと大陸不動産バブルの終焉


アメリカの量的緩和QE3が終了し、10年ぶりにアメリカが金利を上げる時、世界中のドルのアメリカへの回流の流れは決定的になるだろう。すでにそれを織り込んだ流れになっているともみられるし、今年の初めからアルゼンチンなどの新興国で起きている金融不安は、世界中にばらまかれたドルが引き揚げられているからでもある。
思い起こせば”量的緩和”は世界の中央銀行に先駆けて、日銀が初めてやった手法である。2006年3月まで続いた日銀の量的緩和による円の膨張は、円安と日本の”超低金利”を生み出した。低い金利で円を借り、ドルに交換して、アメリカの不動産市場に投資する........いわゆる円の”キャリートレード”が、アメリカの”サブ・プライム・ローン”の膨張させたという事実は記憶に新しい。2006年に日銀の量的緩和が終了した後も、2007年の半ばまで円安は継続し、大量の円がドルに交換されてアメリカに流れ込んだ。が、その”巻き戻し”が起きたとき、”サブ・プライム・ローン”は破綻し、2008年の”リーマンショック”を迎えているのである。

2006年〜2008年と同様に、アメリカと中国、すなわち”ドル”と”人民元”の金利差を利用した”人民元キャリートレード”も、QE3の終結と利上げによって終焉を迎え、”巻き戻し”が起こることは確実である。
中国の不動産融資は”サブ・プライム・ローン”と違って、不動産を放棄しても返済義務は残るから、銀行が破綻する事は無い、という楽観論もある。あるいは多めの頭金を払い込んでいるから大丈夫、という意味不明の楽観論も散見される。が、これはさすがに楽観的に過ぎるだろう。先の”断供棄房”が増え、不動産市場が底割れすれば、最終的に債権の回収はほとんど出来なくなる。むろん、現金一括購入で”炒房”していた連中も多かったのであるが、大半は売り抜けてしまっている。
それよりなにより、地方政府の”土地財政”が回らなくなる。杭州や福州、天津といった、大規模開発に失敗し、財政が火の車の地方政府が辛うじて”回って”いるのは、大手不動産デベロッパーに、相場の半値で土地使用権を叩き売っているからである。大手不動産デベロッパーは、理財商品でその資金をかき集めているが、物件が供給過剰の現在、そのシステムをいつまで継続できるかは不透明だ。

不動産バブルの崩壊を不動産関連産業のみに限って算出する向きもあるが、それは消極的な見方で、これに公共事業のほとんどが付随するだろう。また財政難となれば、国営企業や公務員の給与も圧力を受ける為、個人消費にももちろん影響してくるだろう。言われるように、金融危機や債務危機が起こらない、あるいは表面化しないのであれば、代わりに別の形で人民の生活に影響が出るような現象が起こるだけである。

今後の展開は....?


資金がドルに変わって流出する分、人民銀行は人民元を”印刷”して商業銀行に供給を続けるかもしれない。商業銀行は中央政府の指示で、不良債権化覚悟で、不動産市場を支える資金を供給し続けるかもしれない。結果的に起こるのは、国有企業、地方政府、銀行の、すべての部門のバランス・シートの劣化である。最後は家計に及ぶだろう........
そもそもいくら人民元を増刷しても、アメリカの金利が高い局面になれば、かなりの部分は結局ドルに変わって海外へ流出してしまうだろう。資金補充の意図が補充にならない。日本の”異次元緩和”のよる円の増発が、結局金利の高いドルやユーロに変わって日本から流出してしまい、日本の資産インフレにはほとんど効果が無かったのと同様である。
それでも”リーマンショック”のような、株価の大暴落や為替相場の激変は、中国の場合は起こらないかもしれない。大陸の株式市場は2007年をピークにすでに暴落し、低迷を続けている。為替相場は変動幅を拡大したとはいえ、当局が基準値をコントロールすることができるからである。

しかし為替相場や金利に限らず、ことあるごとに”中国政府は経済をコントロールできている”ことが強調されているが、仮に”コントロール”出来ていたとしても、”コントロール”することによって、市場の歪みがますます蓄積され、”リスク”が解消しないまま拡大している.......これをいくら続けても、経済が”健康体”に戻る事はもう無いだろう。
経済に政治があまりに深く、広く介入してしまっているかの国では、金融や経済の問題を純粋に経済問題として処理できない。経済問題は政治問題に直結し、政治の問題は要は利権の奪い合いなのである。いろいろな楽観論も聞かれるが、ここ数年の動きを見る限りでは、打ち出した改革のほとんどが奏効しないか、あるいは別の副作用を生んでいる。
例を挙げれば低所得者向け住宅、「保障性住宅」の大量供給がある。住宅が過剰に在庫を抱えている現状で、この政策がもつ意味は何であろうか?市場原理に沿って住宅価格が下がり、低所得者の手の届く価格になるのが本道であろうが、市場原理を歪め、高すぎる不動産を下げないことを前提に、低所得者向けの住宅を大量供給しようとしている.......矛盾に満ちた政策である。そもそも絶望的に開いてしまった所得格差の是正を進めるのが、本来の”御政道”ではないかと思うのだが。ともあれ、政策的に作られた膨大な「保障性住宅」の存在は、不動産市場の”歪み”を拡大するだけの結果に終わるだろう。

大陸経済は、もはや自力更生は無理な段階に入っているのかもしれない........それでも、もしアメリカの景気に影が差し、利上げの延期やまたぞろ量的緩和だQE4だ、という事になれば、再び投機資金が流れ込み、あるいは大陸の経済は持ち直すかもしれない。しかしその成長は従前と同じ、不動産を中心とした”資産インフレ”が吸収してしまうことになるだろう...........
ともあれ、外匯占款とM2の関係に現れるように、世界第2位の規模の経済体になって尚、その経済の根幹が外資の流出入に短期的にも大きく影響されるというのは、注意して良いだろう。

...........大陸の資産インフレがいつまで続くか?というのは、ここ数年来の関心事であったのだが、それは硯石とか宣紙の価格とか、そういったものの価格が今後どうなってゆくのか?という事を考えていたからである。ここ10年の大陸の文房四寶の全般的な傾向をみると、価格は上がるは質は下がるわで、良い事はあまりなかった。値段が上がる中で「より良い物を」と求めてきたが、それもだんだん限界に近付いてきたところで、ようやく終わりの見えなかった大陸の”資産バブル”にも先が見えてきた。不動産が暴落したところで、硯や筆が劇的に安価になるとは限らないが、もう少し落ち着いてくるのではないかと期待している..........もっとも、当の中国は”それどころではない”と血相を変えているところであるだろうけれど。
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カン州のレアアース

贛州の八境台に上った時、董必武(1886-1975)の五言律詩(の複製)が楼閣を登る階段の壁に掲げられていた。董必武は共産党創建者のひとり、毛沢東に準ずる建党の元勲である。
直下桐木嶺
驅車入贛州
雙流章貢合
八境石花收
礦有鎢砂著
材多樟樹虬
今年又豐收(産)
歡樂遍山陬

書き下しのみ示す。

直ちに下る桐木嶺(とうぼくれい)
車を驅(か)りて贛州(かんしゅう)に入る
雙流(そうりゅう)章貢(しょうこう)合(ごう)し
八境(はっきょう)石花(せきか)を收む
礦(こう)は鎢砂(うしゃ)の著(はなはだし)きあり
材(ざい)は樟樹(しょうじゅ)の虬(おびただし..?訓読未詳)き多し
今年(こんねん)又た豐收(ほうしゅう)
歡樂(かんらく)山陬(さんしゅ:山の隅々まで)に遍(あまね)く
江西省 贛州市また著名な文学者の郭沫若氏も、八景台の詩を残している。

「登贛州城內八境臺」郭沫若

三江日狂流
八境歲華逎
廣廈雲間列
長橋水上浮
辦林冠贛省
鎢產甲神州
一步竿頭進
力爭最上遊

これも書き下しのみ示す。

三江(さんこう)日に狂流(きょうりゅう)し
八境(はっきょう)歲華(さいか)逎(せま)る
廣廈(こうこう:大きなビル)雲間(うんかん)に列し
長橋(ちょうきょう)水上(すいじょう)に浮ぶ
林(りん)を辦(べん)じれば贛省(かんしょう)に冠たり
鎢(う)を產(さん)しては神州(しんしゅう)に甲たり
一步(いっぽ)竿頭(かんとう:竿の先。釣りの情景)に進み
力(つとめ)て爭(あらそ)わん最上の遊

ちょっと政治臭がする両詩であり、あえて大意は示すまでもないだろう。
董必武は詩中「鎢砂」と詠み、郭沫若は「産鎢」と詠んでいる。
この「鎢(う)」は、タングステンのことであり、タングステンといえば、レアメタルに数えられる希少資源である。実は江西省は大陸におけるレアメタルの主要な産地であり、贛州はその中心的な生産地なのである。
郭沫若の詩の制作年はわからないが、タングステンと”樟樹”すなわち木材資源に言及しているあたりは、董必武の詩を踏まえて詠んだフシがある。
周知のとおりタングステンは重く硬い金属で、鋼材には欠かせない。より端的には、戦車の装甲や砲弾の材料として非常に重要な資源なのである。
董必武の詩(複製であるが)の落款からは、「1963年11月20日」と読める。1960年代といえば「中ソ対立」の緊張が高まっていた時期である。
かつてのソ連は中国にとっては現実的な、かつ最大の脅威であった。北京の地下に築かれた巨大な防空壕(現在は公開されている)などは、それを如実に物語っている。当時の中国の首脳は、核攻撃はもとより、ソ連の戦車がいつ国境を越えて侵攻してくるか、常に神経を尖らせていた。ソ連の膨大な戦車部隊に対抗するには、戦車の装甲を破る、強力な砲弾が必要である。それを造るため必須のタングステンが贛州には豊富にある......だからソ連が攻めてきても大丈夫だ、ということを指導者として明言
する必要があった........というような時代背景が察せられるのである。書の落款には「井岡山」と、江西省吉安市に位置する地名が記されているから、おそらくは董必武の江西省視察時に詠ん詩ではないだろうか。
江西省 贛州市また贛州はレアメタルと同時に、レアアース(希土類)も豊富に産出することで知られている。
レアアースといえば、2010年頃から、日本との間でひと悶着あった経緯がある。あの時は、”尖閣諸島”の問題と絡めて、日本側への経済圧力の一環としてレアアースの輸出制限がかけられた、というような事になっている。それは結果的にそういう事になってしまった......という見方も出来る。実はレアアースの輸出制限については、”島”の問題が勃発するかなり前から中国側から日本に申し入れがあり、日本側は輸出枠を緩めるように、再三の交渉に努めていたのである......この事実は、”島”の問題が起こる以前は大して大きなニュースになっていなかった。だから外交摩擦が起きて以降は、あたかも”経済制裁”として、”レアアース”の輸出制限をかけたような恰好のままになってしまっている。

実のところ、大陸のレアアースの精製技術は高い物とは言えない。自国で精製すると、多量の原材料を浪費してしまっていたのが実情である。なのでいかに膨大な埋蔵量、産出量を誇るとはいえ、将来的に自国で使用する分にも足りなくなるかもしれない、というような見通しがあった.......ことになっている。なので「輸出制限をかけますよ」という事なのであるが、ひとつには日本の精製技術を提供してほしい、という思惑があったとも言われる。「輸出制限」をチラつかせて、レアアースの精製技術を引っ張り出したかったところが、”島”の問題が勃発して、それが外交問題にスライドしててそのままになってしまった、というような見方も出来るのである。

その後、日本は調達先を多様化したり、代換技術を開発して、逆に大陸のレアアースの需要が落ち込んで価格は暴落した、というような経緯がある。それは確かにそうなのであるが、その一方で大陸のレアアース(レアメタルも)相当な余剰生産力、多量の在庫を抱えていた、という事実もある。
江西省 贛州市”余剰生産力”という意味では、大陸の石炭や製鉄に至るまで、およそ鉱物資源はことごとく”供給過剰”が問題になっている。問題にならないのは”金(ゴールド)”くらいかもしれない。
実際の需要を超えて過剰な在庫を持ち、また供給過剰になってしまっているのは、鉄にしろ銅やレアメタル、レアアースにせよ、資源価格の”値上がり”を見込んだ投機対象になっていたからである。「持っておいても腐るものではないし」ではないが、生産して在庫を山積みにしていても、市場に放出しなければ資源相場には影響しない。在庫の資源を担保にして融資を引き出し、それを別の投機対象につぎ込む、というような事が相当な規模で行われていた...........とここまで見てゆくと、先に述べた「レアアースの輸出制限」のオモテムキの理由、「将来的に、国内での使用する分にも足らない」という話も、本当だったのかどうかは疑わしくなる。在庫が国内に山積みになっているということは、実情としてさほど需給は逼迫していなかったことになる。いつになるかわからないが”将来的に足りなくなるから制限する”というのは、いささか根拠が弱いようでもある。

世界の生産量の9割を中国が占めているレアアースは、中国が輸出を制限すれば世界のレアアース市場は簡単に高騰してしまう、という構図があった。しかしあるいは、大陸の有力者がレアアースに大規模に投機し、政治的な働きかけで海外への輸出制限を進めたとしたら......という想像が働かないでもない。
ともあれレアアース、レアメタルの需要の急減速(世界、国内ともに)と、世界最大の輸入国であった日本の技術革新と調達の多様化によって、希少資源の相場は急落した。担保にしていた在庫の価格が下落すれば、担保割れを起こす.........大陸のレアアース関連産業の株価は”白菜価(白菜がやっと買える値段)”にまで暴落して低迷している。
江西省 贛州市江西省 贛州市?小平は「中東に石油あり。中国にレアアース有り。」と豪語したというが、この点に関しては?小平も市場経済を理解していなかったのではないかと思う。もちろん、?小平存命時は、原油および産油国の世界への影響力は大きかった。
ただし「オイルを握るものが世界を支配する」と言われた時代があったのは事実であるが、中東産油諸国ないしアメリカの石油産業が絶大な力を持ったのはほんの一時である。思い起こせば中東の産油国が原油をエンパーゴして世界経済と国際政治に揺さぶりをかけたのは再三にわたった。日本経済もそのたびに翻弄されたのは事実である。が、結局のところ中東の産油国も原油を輸出しないことには経済が成り立たない。いつもどこかの国かが脱落して禁輸が解けてゆくのが常であった。しかもその都度、世界各地に新しい油田が開発され、また石油に代わるエネルギーの開発や、省エネルギー化も進んでいった。
現在、中東の原油が世界経済を左右するほどの力を持っているか?また国際政治へどれほどの影響力を持っているか?これは考えてみる必要があるだろう。
富国強兵を夢見た?小平であったが、”レアアース”を外交カードとして戦略的に利用する事が。かえって裏目に出た事実を知ったらなんと言っただろうか。
大陸は圧倒的なシェアを持つ、世界最大のレアアースの供給源である。しかし一方で日本は最大の輸入国であり、レアアースの消費大国である。いうなれば最大の生産者と最大の消費者という図式であり、”市場原理”に基づけば価格は”需要”と”供給”のバランスで決まる、という事を考えれば、そもそも”レアアース”を”外交カード”に使うべきだったのかどうか、ここは熟慮しなければならなかったところかもしれない。まして年々値上がりを続けていたレアアースを、さらに出し惜しみをして値上げを計るような事を考えるのもいかがなものか......

戦国時代、周の大商人の白圭は「人の捨てる物を私は拾い、人の欲しい物を私は与える」と述べ、豊作の年は蓄え、凶作の歳は放出する事を実践した。
越王勾践を助けて呉を滅ぼした范蠡(はんれい)は、経済政策にあたって計然(けいぜん)の策を用いたが、計然も「物が高い時は捨てるようにこれを与えよ」として、需給のバランスを説いた。後に范蠡は計然の策を応用して商人として大成功したと言われる。いずれにせよ「モノが高い時は買い占めて出し惜しみし、さらに値上がりを待つ」とは誰も言っていない。大陸を割拠した各国の間の交易の盛んだった戦国春秋時代、白圭も計然も自国の国内市場の事だけを考えているのではない......単純な事ではあるが、これが出来る人物というのはいつの時代もさほど多くは無いのかもしれない。
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日本式幼稚園

湖南省から来た交換留学生のYさんに、しばらく中国語のレッスンをしてもらっていた。彼女は洞庭湖の南、湘江の西、長沙の出身である。湖南大学に通い、修士課程の途中で1年間の交換留学で日本に来ていたのである。そのYさんも先週、交換留学の期間が終わって故郷へと帰って行った。

Yさんは日本語については留学前にすでに一級を取得し、滞在期間が短いにも関わらず、その生真面目な性格そのままの非常に正確な日本語を話せるし書けた。大学で勉強したくらいでこうも正しく話せるようになるものかと、語学に(かぎらず)まったく才能の無い小生などは舌を巻いてしまう。
一昔前は、日本に来たばかりの留学生は、ほとんど日本語が話せなかった人が多かった。しかし最近の若い留学生は、すでにかなりのレベルに達している人が多いように思える。

帰国の日も近くなって、東京へ数日行くという。観光かな?と思ったら、湖南大学の指導教授が東京に出張に来るので、それに同行するのだという。最後に東京を観て帰るのも良いでしょう、と思っていた。Yさんが東京から戻ったところで、最後の中国語のレッスンがあった。Yさんに、東京行きの感想を聞いてみた。Yさん曰く、

「指導教授と、横浜の幼稚園に見学に行きました。」
「へえ。」
「私の指導教授は、中国に日本の幼稚園のような幼稚園をつくりたいと考えています。」
「え?日本の幼稚園のような幼稚園?」

「日本式」の幼稚園.....あるいは保育園でも同じかもしれないが、昨今の日本の幼稚園ないし保育園は、ケシカラヌことを子供に教えるものだ、と個人的には思っていた。知人の小さな子が幼稚園に通っているのであるが、アニメの歌やアイドルの踊りなどを覚えさせられて帰ってくる。こんな小さな頃から、大人の趣味で商業主義に汚染された流行文化に毒される子供たちは可哀想である。こうした子供たちは将来の消費者予備軍となるのだろう。さほどお金を出さなくても楽しめる、昔ながらの遊びもたくさんあるはずなのであるが.......中国の幼稚園はどうなのだろう?Yさん曰く、

「中国の幼稚園は、小さいころから英語や算数を勉強させます。日本の幼稚園は、勉強はあまりしないで、みんなで遊んでいます。」
「日本の幼稚園はユルイですね。」
「でも、私の指導教授はその方が良いというのです。あまり小さなころから勉強や競争ばかりさせると、利己心の強い人間になってしまうと。」
「まあ、あるいはそうなりやすいかもしれないですね。」
「横浜のその幼稚園では、親が子供達を迎えに来る時に、先生たちはひとりひとりの子供を抱きしめてからお別れをしていました。」
「へえ。」
「中国の幼稚園では......親は幼稚園の先生にプレゼントをするのですが.....幼稚園の先生はプレゼントをくれた親の子供だけを抱きしめて帰します.......。」
「...........。」
「中国の幼稚園の先生は、みんな親からプレゼントを受け取っています。これが普通なんです。」

このような事は小生も複数の方面から聞いたことがある。上海の友人の同級生の奥さんは幼稚園の先生なのであるが、収入の三分の一は親からのプレゼント.......現金でなくてもそれに準ずる金券など......と聞いた。上海に住んでいる小さな子供がいる朋友も「まわりの親たちはみんな先生にプレゼントをしています。ウチはしてないのですが......」というような話を聞いていた。これは別段強制ではなく、慣習なのであるが、親としては「ウチだけしないというのも」という心理に陥りやすいだろう。
保母をやっていた叔母が二人いたので、日本の事情もなんとなく知っているのであるが、昔は日本も先生が父兄からお中元、お歳暮くらいはもらっていた時代があったのである。それがだんだん厳しくなって、今はそういうことはほとんど聞かない。

中国の「センセイ」の収入は、幼稚園、小学校が高いという。ついで中学校、高校で、大学の先生が一番低い、のだそうだ。これは「プレゼント」を含めた”収入”である。基本給にさほどの違いはないのであるが「プレゼント」が占める割合が、幼稚園や小学校で高いのだそうだ。

現政権の「贅沢禁止令」によって、政府の人間への”贈り物”はかなり制限されている。なので大陸の骨董・美術品市場はかなり冷え込んでしまっている。しかし幼稚園や小学校の先生に対する”贈り物”はどうなっているのだろう?という事は少し考えてしまう。現主席がいうような「腐敗の根絶」を目指すなら、教育現場も手をつけなければならないだろう。親から先生への「贈り物」を、その子供がどう認識しているかは知らないが、小学生くらいになればまったく耳に入らない事もないだろう。学校の先生が「よし」としていることを、子供が「悪い事」とは思わないはずである。「贈答文化」と言ってしまえばそれまでだが、近代化のために「伝統文化」を破壊してきたのが大陸の現政権である。「古典文化」を葬り去ったように、「贈答文化」を根絶することが出来るかどうか...........

「指導教授は、小さいうちは子供は遊ばせたほうが、協調性や社会性を持った人間に育つと考えています。」
「なるほど、それは非常に立派なココロザシのように思いますが、しかしその幼稚園に通った子供たちは、たぶん中国の社会で生きて行き辛くなるんじゃないかな....?」
「私もそう思いますが........。」

最近の日本の幼稚園はあまりに自由放任すぎて、それが小学校での「学級崩壊」を引き起こしているという見方もある。なので「遊び」にもルールがあることも教えるべきと考えているのだが、それとは別に勉強のさせ過ぎもあまりよくないかもしれない。
鈍才の小生がいうのもなんであるが、幼児英才教育、エリート教育には信頼を置いていない。英才、エリート教育がある程度効果を発揮するのは、スポーツの世界だけであろうと考えている。肉体的素質は持って生まれたものがあり、またスポーツはルールがあり、評価基準がはっきりしているからだ。

社会的成功ないし社会貢献が出来る人材は、いわゆる英才教育ではなかなか育たないだろう。知性一本で勝負できる分野は狭く限られている。また、その子供が成人した時の社会の価値観がどうなっているかも、わからない。
英才教育によってその国の国力が増すというのであれば、半島の某国などはよほど強大ははずであるが、そうなってはいない。優れた頭脳を持った子供がいたとしても、覚え込まされるのが”主体思想”とか”唯物論”では、複雑な国際競争の中で力を発揮することは、たぶん難しい。さらにいえば、優れた才能が有ってもそれが生かされる社会環境がなければ、能力が成果として発揮されることは無い。
あるいは、その国の特殊な環境の中だけで仕事をする分にはいいかもしれないが、他国と比較した場合の”国の力”の競争には勝てないだろう。まあ、それでいいならいいのだが、そういう事をやっている国ほど”国の力”にこだわっているのだから不思議である。

教育する側が、その子供が大きくなった後の社会を想定して、必要な知識を覚え込ませることが出来ればよいのだが、そのような予見を持てる教育者は稀だろう。それであればいっそ、いつの時代も必要な「人として」という部分を身に着けさせた方が良いかもしれない。
日本にかぎらず東洋では、教育や学問の目的は、第一に「人格をつくる」ことだったはずなのであるが、今では立身出世か職能のための知識の習得がそれになっている。

ともあれ、現代中国というのは「競争が厳しい」社会なのだそうだ。だから親たちは、子供のうちからせっせと勉強させている。そういった親たちが、Yさんの指導教授がつくろうとしている「日本の幼稚園」のような遊んでばかりの幼稚園に、子供を通わせたいと思うかどうか.........

「Yさんは、帰国して卒業したらどうしますか?」
という質問をしたら、
「指導教授から、一緒に幼稚園をつくりましょう、と言われています......でも私はとても、指導教授のように立派な女性ではないので......」

その指導教授の先生にお会いしたことはないが、話を聞く限りでは教育に理想と情熱を持った方のようである。でなければよりによって「日本式」の幼稚園をつくろうなどという、聞くだに難事業を起こそうとは考えないだろう。その先生が真面目で聡明なYさんを勧誘したい気持ちも、なんとなくわからなくないのであるが.........
幼児英才教育を重視する大陸では、幼稚園も立派な教育機関である。幼稚園の先生も教育に関する「論文」を書いて発表する。また政府からは「指導」の名目で、党員が派遣される。Yさんの通う湖南大学は、淵源をさかのぼれば北宋に達しようかという湖南省の名門校で、全国の大学評価でも総合大学としては常に上位にあるのだが、そこの卒業生の就職先として「幼稚園」というのは別段、不思議なところではない。いや「幼稚園の先生」は、大陸の若い女子学生にとっては(中国でもやはり女性中心の職場)非常に倍率の高い、人気の職種なのである。
Yさんの先生は、現代の中国の社会に対して問題意識を持っていて、それを是正するために「日本式幼稚園」をつくろうと考えているのだろう。無論、日本社会は理想の社会でも何でもない。「協調性」の名のもとに、コンセンサスに偏重し過ぎる政治や会社や組織に、ところどころ限界が見られる昨今である。
ただ現代の大陸は、政治エリート達が似たり寄ったりの価値観に基づいて利己的な業績競争に暴走した挙句、環境も経済もボロボロになっている。特権を利用してさんざん蓄財した後に、多くの”エリート”達は汚染された祖国を見捨てて海外に移住しているのだから、「利己的」といえばこれに過ぎる行動もあまり例をみないだろう........なので軌道修正は必要なのかもしれない。「日本式幼稚園」がその解になるかどうかはわからないけれども。

あるいは近い将来、湖南省のどこかの街にポツンと「日本式幼稚園」が出来ているかもしれない。そこに子供達を送り迎えするYさんがいるかどうかは.......現時点では予見しがたいものがある。
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謹賀新年

旧暦のお正月という事で、”うま年”にちなんだ一首。

光陰如快馬
一去復無歸
事似江南雪
雖來旦已非

光陰(こういん)快馬(かいば)の如く
一(ひと)たび去(さ)りて復(ま)た歸(かえ)らず
事(こと)は江南の雪に似(に)て
來(きた)ると雖(いえど)旦(あした)に已(すで)に非(あら)じ

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「欧陽修」って誰?

上海の本屋を回っていると、一冊の本が目をひいた。
「天下知音 欧陽修」
とある。「欧陽修って誰だろう?」と思って、数ページ読んでみたら、これが文公欧陽脩(1007〜1073)の本なのである。でも欧陽修ではなく、欧陽ではないの??
欧陽脩
大陸の検索エンジン「百度」で「欧陽脩」と入力して検索をかけると、検索結果は「欧陽修」に変換されてしまう。「脩」単独で検索しても、検索結果は「修」になってしまう。どうも現代の簡体字世界では「脩」は抹殺された文字らしい.....
周知のとおり「脩」は字形に「月(肉月)」を含むことからもわかるように、”干した肉”が原義である。日本では今でもお稽古事の「お師匠」に月謝を納めるときに、「束脩」と書いた封筒に現金を入れる(ところも少ないかもしれないが)。これは孔子サマの時代、弟子たちは先生に鹿の干し肉を束ねて授業料としておさめた習慣に由来する。ゆえに「脩」は「おさめる」とも訓読するが、細長い干し肉が原義であるから「ながい」と訓読する方が、より元の意味に近い。
対して「修」は、「彡」を含み、これは”毛”ないし、”かざり”の紋様を表わしている。ゆえに「修」はかざる、手を加えてなおす、という意味が原義であり、”修理”や”修飾”の意味がある。ととのえる、という意味から「国をおさめる」という「治修」という語にも用いられる。
訓読するとどちらも「おさめる」なのであるが、「脩(おさめ)る」は「納(おさ)める」であり、「修(おさめ)る」は「治(おさ)める」方である.......何が言いたいかというと、両者はまったく異なる漢字であって、繁体字を簡体字にしたらこうなるとか、そんなレベルの話ではない、ということである。
ちなみに欧陽脩は字(あざな)を「永叔」という。名の「脩」は前述の「ながい」という意味において、字(あざな)の「永(なが)い」に対応しているのであって、「脩」が正しい。欧陽修と書いたら別の人である。
日本の検索サイトで検索すると、まれに「欧陽修とも書く」というような頼りない記述も見られる。ブンガクブの先生だったら「北宋時代に文公と称された人物の姓名を書け」という問題をだして「欧陽修」と書いた学生に点をあげられるだろうか.......日本語世界はともかく、現代の大陸の言語世界では「欧陽脩」という人物は存在しない......繁体字世界の台湾や香港の方では「欧陽脩」になっていた。幸いなるかな。
蘇軾が簡体字になって「苏轼」になっているのもかなり違和感を覚えるのだが、簡体字繁体字で対応しているのであれば、一応は納得もしようというところ。しかし元の字と全く違っているのは大問題。名前を間違えるというのは、大陸では(日本でも)かなり失礼な話である。

欧陽脩といえば文公と称され、唐宋八大家に名を連ねる名文家にして蘇軾の師匠である。北宋の新法旧法の政争では、旧法派の元老として、新法派との論戦を繰り広げた......王安石の新法は「国家社会主義」の先駆者とも評価されている。対して旧法派は、地方の地主階級の既得権益を守る派閥とされている。現代の大陸では、たぶん「社会主義」イデオロギーのタテマエから、「国家社会主義」の新法が優れていたとされている。あるいはそういった「政治的」な理由が尾を引いて「脩」の字は抹殺され、呪いを込めて「欧陽修」にされてしまっていると考えるのはうがちすぎか。あるいは孔子の時代に「脩(ほしにく)」を授業料としておさめた事を”封建的”と断罪する意味で抹殺したとか.......こういった、現代中国の漢字世界で抹殺された文字はほかにもあるのだろうか。”脩”と”修”は”異体字”ということになっている記述もある。しかし字の成り立ちがそもそも違うのである。
あるいは、どこかの時代で「諱(いみな)」にひっかかって、「脩」が「修」に改められたとか。しかし「脩」という字そのものを無くしてしまう理由にはならないような気がしてしまう。

自明な話だが、文字をきちんと知らないと古典は読めない。あるいは文字を改編し、一部の文字を抹殺することで、現代の大陸の人が自国の古典世界にアクセスできない様にしたのだろうか?とかなんとか、いろいろ”政治的な”意味を穿(うが)って考えてしまう。なんといっても欧陽脩は”文公”。現代の大陸がいかに「文」をないがしろにしているか、この一件でもよくわかる.....などと”鬼の首とった”ように騒ぐのもどうかというところだが、現代の大陸の人にとっては、こんなことはどうだっていいことなのだろうか..........。
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湖州の霧

例年通り、筆匠に会いに湖州市善?鎮を訪れた。前夜に上海から移動して、湖州市内で一泊、翌朝善?に向かうという日程である。

湖州市内のホテルの一室で、明け方に目が覚めた。そのままベッドの中で悶々と、窓の外がだんだんと白んでくる様子を眺めていたのだが、明るさが増してくる一方で、いつまでたっても白いままである。曇天なのかと、起きて窓の外を見ると何も見えない。街が消えたんじゃないかと思わせるような、凄い濃霧である。
湖州の霧霾そのまま湖州市内からタクシーを飛ばして善?鎮に向かったのであるが、途中ずっと地表を濃い霧が覆ったままであった。濃霧を透かして、黄色い太陽がぼんやりと見える。本来は今日は晴れのはずである。善?鎮に到着したが、湖州市内ほどではないにしても、善?鎮も濃い霧でおおわれている。

湖州はその名の通り、太湖という大きな湖のほとりに位置している。浙江省北端の都市である。善?鎮は湖州市からタクシーで1時間内外、より太湖に近づいている。水路が縦横に走り、この土地全体が水の上に浮かんでいるような地方である。水辺の街であるから、時折濃霧が発生するのは自然現象と考えられる......この時はそう考えた。思えばこの季節の湖州では、何度か濃霧に遭遇した記憶がある。それにしても今回はすごい。

善?鎮で筆の制作の相談を終え、食事時に濃い霧の事を聞いてみた。筆匠曰く「これは空気汚染だよ。」という。湖州市も年々大気汚染がひどくなってきており、片田舎と思っていた善?鎮も例外ではないそうだ。「しかし農地ばかりの、こんな田舎まで汚染されているのですか?」と聞くと「ゴミの焼却場がたくさんあって、そこからの排煙が凄いんだよ。」とのこと。なるほど、ゴミの焼却場。これは深刻だ。

大気汚染は、自動車の交通渋滞、石炭火力発電、製鉄所、各種工場、集中暖房の石炭燃料、家庭用燃料の燃焼、などが主な原因と考えていたが、ゴミの焼却処理場を見落としていた。この濃霧......霧霾(むり:ウーマイ)の発生源の一つがゴミの焼却場なのだとすれば、健康被害については神経質にならざる得ない。
実は日本でも、ゴミの最終処分は隠れた大問題なのである。大陸でゴミの処理をどうしているか?ということなどは、もう想像を絶するものがある。
湖州の霧霾........ところで大陸の法律では、未だに市民の自発的な”集会”は禁止されている。一定人数の人を集めるイベントは、事前に届け出が必要であるし、”指導”目的の党員もちゃんと派遣されるのである。日本や香港でも、デモ行進などは警察に事前の届け出が必要であるが、それは交通整理等が目的であって、政治的な意図からこれを禁止することは原則出来ないのである。

おもえば”自由民権運動”が盛んであった明治の日本でも、集会と言えば憲兵が派遣され、監視された。弁士の演説が危険と判断されると、集会の解散が命ぜられた時代があったわけである。大陸は今でもそうなのである、というより政治にかかわる講演なんて出来ない分だけ、明治の日本よりも言論に関しては抑圧的な体制である。

ここまで環境汚染が悪化しているなら、デモ行進なり抗議集会なり、多発してもおかしくはないのであるが、法的に禁じられ、報道も適度に管制されているので目立たない。だから稀に抗議行動が起こるとすれば、非常に暴発的なものとなる。事実、抗議行動が頻発するようになっているのであるが、日本や欧米のように「地道な粘り強い抗議行動」といった性格ではなく、暴動に近い恰好になるのである。

江戸時代の日本でも、百姓一揆が起こると、その領地を治める藩は、多くの場合統治能力を疑われて幕府によって改易させられた。一方で一揆も禁止されていたから、一揆の首謀者は罪に服さなければならない。
「お上にたてつく」のが禁じられていると、圧政を被る方も、いうなれば捨て身の、ある意味では破れかぶれ的な抗議行動にならざるえないわけである。今の大陸の状況はそれに似ている。一揆がおこらないようにするには、せいぜい「善政」に期待するしかない。
湖州の霧霾それにしても今年は上海周辺、江南の方でも汚染がひどいようだ。個人的な記憶に限っても、ここ数年、特に昨年の上海周辺はこうではなかった。一方で北の北京の方も楽観できないが「昨年に比べれば、今年は改善された」という話も聞いている。この話を上海の朋友にしたら「今年は北の方の鉄鋼の生産を減らした分、南の方での生産が増えているんです。他の工場の操業も同じ。だからですよ。」と教えてくれた.......うーむ。

当局の自信満々と裏腹に、一年経過しても、抜本的な対策があまり進んでいないのが実情なのだろう。さまざまな弊害を含む一党独裁も、意思決定と実施がスピーディなのが取り柄のはずなのであるが........経済問題が政治問題と切り離せないのと同様、環境問題も政治問題、端的には政権内の権力関係に絡むのだから、すぐにはどうにもならないのかもしれない.......一市民ですら政治参加できないのだから、一外国人がどうこう言っても始まらないのであるが、ともかく早いところ、この”霧”が晴れてくれることを、今は願うばかりである。

大陸では昔から”まつりごと”が乱れると天が怒り、天変地異が起こる、と信じられてきた。反対に、政治が優れていたら天がこれを寿(ことほ)いで”瑞兆”が下るのである。
してみれば現代、この異常な”霧霾”となってあらわれる”環境汚染”は、汚職、腐敗がすすみ、かつ政権内部で何をやっているのかわからない”不透明”な現在の大陸政治を、如実に示しているとはいえまいか。事実、”まつりごと”が人の道に外れ、天道にそむいたからこそ、このような異常な現象が起こるのである。古代からの聖賢の教えは、やはり正しかったと、そう考えたくなる。
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